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ブラジルサッカー不動の左サイド、ニウトン・サントスが逝去

ニウトンサントス

ボタフォゴ公式サイトが、ブラジルサッカー界の英雄ニウトン・サントスが気道感染症で逝去したことを11月27日(水)に伝えた。ニウトン氏は2007年からアルツハイマーで苦しんでおり、先週土曜日からは呼吸困難の為フルミネンセの病院で入院していたという。享年88歳だった。

ニウトン・サントスは1925年5月16日にリオで生まれた。プロサッカー選手としてボタフォゴに入団し、そのまま16年間活躍。男一筋に1チームを貫き通した。

彼は生前メディアを通して「ゴールを決めた時に胸のチームシンボルにキスをする選手がいるが、そこに愛は存在しない。毎年違うユニフォームを着ているではないか」と批判する事もあった。

彼は別名“Enciclopedia”(百科事典)とも呼ばれ、人々から親しまれていた。その理由は、とにかくサッカーに対する知識が豊富であるという事だったらしい。公式サイトによると、彼はガリンシャのように皆から愛され、ペレのように皆から尊敬されていた選手だったと言う。万人から愛される人物だったのだろう。

愛するボタフォゴのユニフォームを着て26のタイトルを獲得し、729試合に出場した。

代表としては75試合を戦い5ゴールをマークした。代表時代には、W杯に4度出場しており、1950年はベンチに留まったものの、1954、1958、1962年と他の3大会ではレギュラーとして活躍し、そのうち2大会で優勝に輝いた。1998年にはFIFAが発表した歴代最高セレソンメンバーにも選ばれた。

ニウトンが代表で活躍した時代は、サッカーのスタイル自体も今とは大きく異なっており、3人のディフェンスで相手の前線の選手をすべて抑えなくてはならなかった。しかし、ニウトンは独自の方法を生み出し、例え相手が後ろにいようとも対応できるようにした。そして、果敢に攻める姿勢をみせた。また太陽までも味方に付け、相手が近づいてくる影を頼りに判断しプレーしていた。とにかくサッカーにおいては賢い人物だったようである。

こんなコメントがある。

「昔の選手がよく、今の時代にプレーしていたら大金持ちになれただろうと言うが、私はその点については羨ましくもなんとも思わない。ただ、今の選手達には自由がある。攻撃にしても守備にしても自由に出来る。それが何より羨ましい」(2001年10月に行われたEstadoのインタビュー)

彼がどれだけサッカーという生き物を愛していたかが分かる言葉である。

最後に彼は自身のサッカー人生においてこのように語っていた。

「ボールは私の人生そのものだ。彼が私に全てをくれた。決して裏切る事なく、そして逃げる事なく私の言う事を聞いてくれた」

ニウトン・サントスの葬式はボタフォゴのホームであるGeneral Severiano ジェネラウ・セヴェリアーノで行われた。チーム曲が鳴り響く中、家族や友人に見送られ別れを告げた。棺はボタフォゴの旗に覆われていた。

最後の数日を病院で過ごしたニウトンの楽しみは、昼食に出てアイスクリームを食べる事だったという。家族や友人、昔のチームメイトもお見舞いに頻繁に訪れており、その際にはいつもトロフィーを持参し持ち上げる事で彼を祝福していた。

彼の死に対し、ボタフォゴのチーム関係者は、「彼とチームを混同してしまう。二つで一つであった。とても悲しい日である」とコメントを残した。

(文/勝田道徳、写真/Rose Brasil)
写真は2004年3月、ブラジリアにて。ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領(当時)とニウトン・サントス(左)

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