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ルバング島から帰国後、ブラジル移民となった小野田寛郎さんが死去

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ブラジルで「小野田自然塾」を運営していた小野田寛郎(おのだ・ひろお)氏(91)が1月16日(木)、都内の病院で死去していたことが判明した。肺炎だった。

元日本陸軍の軍人で、第二次世界大戦終戦後も終戦したことを知らず、30年近くフィリピンのルバング島で生き延びていた小野田寛郎氏は、大正11年(1922年)、和歌山県亀川村(現・海南市)生まれ。

昭和19年(1944年)12月に比島派遣軍指令部参謀部付としてフィリピンに派遣された。

情報将校だった小野田氏は、終戦後も日本から任務解除命令を直接受け取ることができなかったため、任務を続行していた。1950年代には存在が把握されていたものの安否は定かでなかったが、昭和49年(1974年)、正式に作戦任務解除命令を受けて日本に帰国した。

小野田氏の帰国は、1972年にグアム島で発見された横井庄一元伍長と並び、生存日本兵として日本で大きく話題になった。しかし、約30年を経て大きく変わった日本になじめず、ブラジルに移民していた兄を頼り、翌昭和50年(1975年)に渡伯した。小野田氏の言動やフィリピンでの活動の報じられ方に、誤解や曲解が多かったといわれている。

ブラジルでは約1200ヘクトアール(1200町歩)の牧場を開発、10年後に軌道に乗せ現在1800頭の肉牛を飼育した。昭和53年(1978年)には移住地の日本人会を設立、初代会長に就任。4期8年を勤め、以降、顧問に就任した。

昭和59年(1984年)には、ルバング島の経験を生かし、キャンプを通して逞しい青少年を育成しようと「自然塾」を開設、活動していた。近年、帰国して講演などを行っていた。

(文/麻生雅人)
写真は「たった一人の30年戦争」(小野田寛郎・著/東京新聞出版局・刊)

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