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黄金のカルテット

ジーコ1982

黄金のカルテット。ブラジルのセレソンには、かつて、そう呼ばれた4人組がいました。

ブラジルは1970年に3度目の優勝を果たして以来、74年には4位、78年には3位と健闘はしていましたが、あと一歩のところで優勝することができなくなっていました。

1982年、ワールドカップ・スペイン大会。今度こそという思いに、名匠テレ・サンターナがカナリア軍団の指揮をとりました。選ばれた選手の中で中盤を構成したのが、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ。

この4人が黄金のカルテット、世界で類をみない優れたMFの集まりだったのです。

メディアには大々的に放送され、当時子供だった自分の目にも、まるでファンタスティックフォーのようなスーパーヒーローに映りました。

大会が始まり、前評判通り、ブラジル代表は「華麗なサッカー」かつ「芸術的なサッカー」で世界を魅了しました。1次リーグの最初の対戦相手は(旧)ソビエト連邦。

2-1でブラジルが勝利を収めたこの試合では、右ウィングのイジドロがファルカンにパスを出して、ボールが股の下を抜け後ろから走っていたエーデルが弾丸を放ってゴールの枠の中に放り込んだ瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています(YOUTUBEに「Eder Brazil vs USSR 2-1 First Round World Cup 1982」のタイトルでUPされています)。

黄金のカルテットが出来上がったのは、その次の試合、対スコットランド戦において。そして、ブラジル4-1スコットランド、ブラジル4-0ニュージーランドと、ブラジルは順調に大会を進んでいきました。

2次リーグでも、前大会王者そして永遠のライバル、アルゼンチンを3-1で下し、ブラジル優勝の期待は高まっていました。しかしこの時まだブラジル人たちは、この先に何が待ち受けているのか、知りませんでした。(つづく)

(写真/Bongarts/Getty Images)
写真は1982年7月2日、バルセロナ。ワールドカップ・スペイン大会、ブラジル対アルゼンチン戦。中央は黄金のカルテットの一人ジーコ

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著者紹介

浅野雅雄 Masao Asano ブラジル出身。来日する前、16歳まで住んでいた地域がサンパウロFCのホームグラウンド近くだったので自然と“サンパウリーノ”(サンパウロFCファ ン)になる。日本で大学卒業後、一般企業に勤めたが母国の心を忘れず、ブラジルと関係のある企業へ転職。現在はアイピーシーワールドのシステム・エンジニア、雑誌「ヴィトリーニ」で最新テクノロジー記事を担当。