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ジュール・リメ・トロフィーは何処へ消えたのか?

ピクルスくん

FIFAワールドカップTMといえば、大会の象徴として、トロフィーの存在が大きい。FIFAの初代会長だったジュール・リメ(フランスサッカー連盟会長でもあった)がワールドカップとサッカー界に多大な貢献をしたことから、その名が使われて「ジュール・リメ・トロフィー」と呼ばれるようになった。

このトロフィー、実は現在使われているもので2代目となる。1930年の第1回ワールドカップ大会のときに生まれた初代のトロフィーは、重さ3.8kg、高さ35cmの金メッキされた純銀製。フランス人彫刻家のAbel La Fleur アベル・ラフールの手によるものだった。

ラピス・ラズリの台座には1930年以来、ワールドカップを制した5つの国の名前が刻まれていた。ワールドカップを3回制覇したチームが永遠に保管できることになったトロフィーは、1958年、1962年に続いて1970年の大会を制したブラジルが保管できることになった。以降、ジュール・リメ・トロフィーはブラジルサッカー連盟本部に置かれ、展示されることとなった。

そのため、FIFAは2代目のトロフィーを1973年に制作した。こちらはそのままFIFAワールドカップトロフィーと呼ばれていて、重さ6.175kg(うち純金は4.927kg)、高さ36.8cm。手掛けたのはイタリアの彫刻家シルビオ・ガザニガだ。1974年大会の優勝国西ドイツをかわきりに、2010年までに6ヶ国が受け取っている。うち、2度の大会を制しているのはブラジル(1994年、2002年)、アルゼンチン(1978年、1986年)、西ドイツ(1974年、1990年)、イタリア(1982年、2006年)だ。

ところで、初代のジュール・リメ・トロフィー、実は、現在、ブラジルサッカー連盟本部にあるのは2代目のジュール・リメ・トロフィーなのだ。

このトロフィーは幾度か事件に巻き込まれてきた。

最初の事件は、まだブラジルの手に渡る前、ワールドカップ・イギリス大会が開催された1966年に起きている。トロフィーはワールドカップ開催を控えたロンドンで展示されていたが、盗難事件に巻き込まれてしまう。身代金の要求があり、警察は男を逮捕。一件落着に見えたが、これは便乗脅迫だということが判明。トロフィーの行方は再び霧の中へ。

しかし、事件はあっけなく解決する。ピクルスという名の子犬が一般家庭の庭先から発見したのだ。ピクルスの名は一躍、世界中に知れ渡った。一躍人気者となったピクルスは、 同年、ダニエル・ペトリ監督によるコメディ・スパイ映画「The Spy with a Cold Nose(ブルドッグ作戦)」に出演したのだという。しかし翌1967年に他界した。

2度目の事件は、ブラジルがトロフィーを保管する権利を得た13年後の1983年のこと。ピクルス君の活躍で戻ったあのトロフィーは、またしても盗難に遭ってしまった。犯人は逮捕されたが、肝心のトロフィーは今なお行方不明のまま。犯人たちはが溶かしたと証言しているが、真相は謎のままだ。ブラジルが保管しているのはレプリカというわけだ。

この謎はブラジルサッカーの汚点として歴史に残る事件となった。

(写真/Getty Images)
写真は1966年3月29日、イギリスで映画出演のオファーを受けるピクルス

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著者紹介

浅野雅雄 Masao Asano ブラジル出身。来日する前、16歳まで住んでいた地域がサンパウロFCのホームグラウンド近くだったので自然と“サンパウリーノ”(サンパウロFCファ ン)になる。日本で大学卒業後、一般企業に勤めたが母国の心を忘れず、ブラジルと関係のある企業へ転職。現在はアイピーシーワールドのシステム・エンジニア、雑誌「ヴィトリーニ」で最新テクノロジー記事を担当。