日系3世料理コーディネーター、平田マリさんが語るブラジル料理が独特な進化を遂げた理由

2014年 03月 9日

平田マリ

日本でお馴染みのブラジル人といえば、サッカーのジーコ元監督や、日産のカルロス・ゴーン社長が有名だが、料理界にも逸材がいる。日系三世の平田マリ(ヒラタマリ)さんだ。

2008年の夏、サンパウロ市で大がかりな日本人移民100年祭が行われたとき、あちこちのホテルやレストラン、マーケットで料理イベントを行い現地メディアでも注目された。

「ごぼう、白菜、豆腐などを使って、日本の食材がこの100年の間に、どれほどブラジル料理に溶け込んでいるかをデモンストレーションしました」

ブラジル料理のおもしろさは、さまざまな国の食文化が複雑に混じり合った多国籍性にあると、マリさんはいう。先住民族が暮らしていたこの国には、1500年代から植民地化を進めたポルトガル人、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人たち、さらにイタリア、スペイン、ドイツ、レバノン、ポーランド、そして日本などからの移民が続々と流入し、多様な食材や料理法が持ち込まれて融合を繰り返した結果、なんともエキゾティシズムあふれる独特の料理が生まれた。

「たとえばヒゾーリスという揚げ餃子のような食べ物。もともとはポルトガル料理で、中に塩づけタラや海老が入れられていました。ブラジルに伝わってからは先住民がヤシの茎を入れて、そのスタイルが今も受け継がれています」

ポルトガル人は日本にカステラを伝えたが、ブラジルにも卵を使った菓子を多く伝えた。

「キンジンという甘くて濃厚な卵菓子もブラジルの代表的なお菓子のひとつですが、元はポルトガルから伝わったお菓子です。ポルトガルではアーモンドパウダーを使いますが、ブラジルにはなかったため、代わりにアフリカから伝わったココナッツを入れるようになりました」

マリさんのブラジル料理のレシピは、300レシピ以上あるという。サンパウロの五つ星ホテルではパティシエを務め、日本では和菓子を学んだ。パリでは三ツ星レストランでフレンチの修業を積み、ル・コルドン・ブルーを主席で卒業した。そんなマリさんは、さまざまな経験を積んだ後、今、改めて母国の料理を再発見して、紹介する意欲に燃えているという。

「たとえば私が作るキンジンは、甘さを控えるために砂糖の代わりに日本の水飴を使っています。甘すぎたり、脂っこすぎたりするブラジルの伝統料理を、おいしさはそのままに、どうやって今の時代の味覚に合うようアレンジするかにも、心を砕いています」

もともと多様な国の食文化を喰らい多文化の混交を背景に育まれてきたブラジル料理が、マリさんの手によって、新たに多様な知識を取り込み、さらにまた進化しようとしている。

(文/加藤元庸、写真/麻生雅人)
写真は「FOODEX JAPAN 2014」ブラジル・パビリオンにて平田マリ(ヒラタマリ)さん(右)と、同パビリオンでマリさんのサポートをした港区のブラジル料理レストラン「Fiza」 のシェフ、ミジーニャさん(左)