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ブラジル版「それでも夜は明ける」。19世紀の黒人運動家ルイス・ガマに注目集まる

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3月2日にアカデミー賞作品賞を受賞したことで映画「それでも夜は明ける」が、現在世界的な話題を集めている。

そして、くしくもブラジルでは今、「自分たちの国にもサイモン・ノーサップ(「それでも夜は明ける」の主人公)に似た存在がいた」として話題になっている人物がいる。

「それでも夜は明ける」は19世紀中期に、ニューヨークの成功した音楽家に騙され、いきなり南部へ奴隷として売られた黒人男性サイモン・ノーサップ氏の奴隷としての12年の月日の実話を描いたものだ。この話は、アメリカでの黒人差別の実態を明らかにする一作としているが、実はブラジルでも同じような手記を残している人物がいる。

それがルイス・ガマ(1830~82年)だ。北部バイーア州の白人を父とし、自由の身の黒人を母として生まれたガマは、10歳のとき、実父によって奴隷として売られ、南部で競売にかけられた後、南東部のサンパウロ州の大商人に7年間仕えた。

ガマは17歳のとき、主人の家の下宿人で法学を学ぶ学生アントニオ・ロドリゲス・ド・プラードと出あって意気投合し、彼に読み書きを教えてもらうようになる。もともとは自由民であったことを証明する書類を入手したガマは自由の身となり、法学を学ぶようになる。1864年には風刺新聞「ディアブロ・コショ」の創設メンバーのひとりとなったほか、詩人としても知られている。

ガマは奴隷解放運動を実践する弁護士としても知られ、少なくとも500人の黒人を奴隷から解放したとされている。この辺りも、12年の奴隷生活の解放後、自分と同じように陥れられて奴隷になった黒人の解放運動に動いたノーサップを彷彿とさせる。

そんなガマは1882年に糖尿病のため、この世を去った。葬儀には彼の棺を運ぼうとする人々が3千人も集まったという。ブラジルで奴隷制が廃止されたのはその6年後のことだった。

その死に先立つこと2年前の1880年、ガマは友人のルシオ・デ・メンドンサ氏に自身が奴隷だった頃の7年間の生活について綴った手紙を送っている。サンパウロ連邦大学のリジア・フォンセッカ・フェレイラ教授によると、「この手紙はブラジルでの奴隷体験を綴った唯一の文書だ。アメリカではそれらの奴隷の文章は黒人文学の起源として機能しているが、ブラジルでは、奴隷としての苦難の後に自由の身となり、社会的にも知られるようになったガマ氏のものしか残っていない」と語っている。

また現在、ガマに関する小説をテレビドラマ化する話も進行している。その小説は作家アナ・マリア・ゴンサウヴェスが書いた「ウン・デフェイト・デ・コール(色の欠陥)」だ。この作品はガマの母親で黒人の女性主義のシンボルでもあるルイーザ・マーインについての小説で、世界的にもヒットした「シティ・オブ・ゴッド」のフェルナンド・メイレレス監督も映像化に興味を示したとされている。現在、ルイス・フェルナンド・カルヴァーリョ氏を監督に準備が進められているという(8日付フォーリャ紙より)。

(記事提供/ニッケイ新聞)
写真はルイス・ガマの伝記「ルイス・ガマ」(ルイス・カルロス・サントス著、Selo Negro Edições/Grupo Editorial Summus)

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