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名古屋ブラジルフェスタ 2014、ゲストはシダーヂ・ネグラ

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6月7日(土)、8日(日)に開催される「FESTA DO BRASIL NAGOYA 2014 名古屋ブラジルフェスタ 2014 ~BRAZILIAN DAY NAGOYA~」。

8日(日)に出演する来日ゲストにシダーヂ・ネグラが決定した。

シダーヂ・ネグラは大衆的なポップス・ファンからMPB、レゲエ、ソウルのリスナーなど幅広いファンに人気を博しているグループ。経歴は以下。

シダーヂ・ネグラが結成されたのは1980年代前半のこと。バンドが誕生したのはバイシャーダ・フルミネンシと呼ばれるリオデジャネイロ州の南西部に位置する地域にあるBelford Roxo ベウフォーヂ・ホッショ市。

結成当初はルーツ・レゲエを演奏していて、現在のようなポップな曲を演奏すようになったのは後のこと。

結成当初のメンバーはヴォーカルのRas Bernardo ハス・ベルナルド、ベースの Bino Farias ビノ・ファリアス、ギターの Da Gama ダ・ガマ、ドラムとパーカッションのLazão ラザォン。

シダーヂ・ネグラの前身ともいえるグループは、ビノを中心に誕生したという。

ビノの父親はヴィオラォン奏者で母親は教会で歌っていたという。ビノがラザォン、ガマと知り合ったことからグループ、ノーヴォ・テンポが結成された。グループは教会のフェスティバルなどで演奏していた。

1983年にベルナルドがグループに参加してグループ名はルミアールに変更された。

ルミアールになるとルーツ・レゲエに加えてブラジリアン・ソウルやロックの影響も反映されるようになり、ボブ・マーリィ、チン・マイア、そしてレッド・ツェッペリンやディープパープルなど、彼らが影響された音楽をミックスして独自の音楽を生み出していった。

しかし、同名のバンドがすでにいたことからグループは再び改名することを余儀なくされる。

1986年に地元にあるアルカヂア劇場で行われていた“火曜日の文化プロジェクト”で初めてのショウを行ったときに、黒人層、貧困層の住人が多い地域の出身である彼らは「シダーヂ・ネグラ(黒人の街、あるいは真っ暗闇の街、といった意味)」を名乗るようになった。

BBCネットワークがバイシャーダ・フルミネンシを舞台にしたドキュメンタリー番組を制作した際にシダーヂ・ネグラが番組で取り上げられ、モチベーションが上がった彼らは翌年、大手レコード会社ソニー(当時はCBS)と契約を果たした。

シダーヂ・ネグラは1991年にファースト・アルバム「ルッチ・パラ・ヴィヴェール」(Sony Music)を発表。彼らのリアルな生活や政治的な見解を歌にして注目を集めた。レコードのカバーには故郷バイシャーダ・フルミネンシ地域の地図を掲げている。ヒットした「ファラール・ア・ヴェルダーヂ」は当時、ブラジル中のラジオ局がオンエアしたといわれている。収録曲「メンサージェン」にはジャマイカの伝説的なレゲエ歌手ジミー・クリフが参加した。

翌1992年、シダーヂ・ネグラはジャマイカで開催されているレゲエ・サンスプラッシュ・フェスティバルに参加。

同92年、セカンドアルバム「ネグロ・ノ・ポデール」(Epic/Sony Music)を発表。このアルバムが初代ヴォーカリスト、ベルナルドの最後の参加作品となった。

ベルナルドがソロになるためグループを脱退した後、シダーヂ・ネグラは新ヴォーカリストにトニ・ガヒードを迎えた。

トニはソウル・グループ、Bel ベウのヴォーカルを務めていたシンガーで、ソングライティングでもトニ・ガヒードが活躍、シダーヂ・ネグラのサウンドはよりポップになっていった。トニ在籍時のベウは1991年にイベントに出演するため来日もしているという。

1994年、プロデューサーに売れっ子のリミーニャを迎えて3作目「ソブリ・トダス・アス・コイザス」(Epic/Sony Music)を発表した。このアルバムからはマリーザ・モンチとナンド・ヘイスが共作した「オンヂ・ヴォセ・モーラ」や「ペンサメント」、「ドトール」「ムカーマ」などがヒットしている。このアルバムを契機にバンドは大きな変貌を遂げた。

1995年には4枚目のアルバム「オ・エレー」(Epic/Sony Music)を発表。「フリー」にはレゲエ・グループのインナーサークル、「ヘアリダーヂ・ヴィルトゥアウ」にはパトラが参加した。作詞には詩人のベルナルド・ヴィリェーナを迎え、ブラジルのストリートの現状を描いた歌詞はよりリアルに。「シダーヂ・エン・モヴィメント」ではDJ NUTS が参加! ジョルジ・ベンの大名曲「ネグロ・エ・リンド」のカヴァーは、この選曲が彼ららしい。アルバムはまたも大ヒットしてシダーヂ・ネグラは国外でも名をとどろかせた。日本でも「オ・エレ―」は発売された。国内盤タイトルは「エレーをわかろうと思ったら、子供でなきゃ…」。

1998年には5作目「クアント・マイス・クルチード・メリョール」(Epic/Sony Music)を発表。収録曲「ポント・ヂ・ムタサォン」のゲストにベニン出身の歌手アンジェリーク・キジョーを、「サバド・ア・ノイチ」ではルル・サントスを迎えた。

同年、トニ・ガヒードはリオの若者たちの姿を描いた青春コメディ映画「コモ・セール・ソウテイロ」の挿入曲「ソウテイロ・ノ・リオデジャネイロ」でヴォーカルを担当。初めてのソロ・プロジェクトとなった同曲は、シダーヂ・ネグロに入る前に参加していたベウを想わせるブラジリアン・ソウル~R&Bナンバー。ダウーヂ、イヴォ・メイレリスなども出演した同映画に、トニもクレジットされている。

1999年、トニ・ガヒードはカカー・ヂエギス監督「オルフェ」の主演に抜擢されてオルフェ役を演じた。「オルフェ」は1959年のフランス映画「黒いオルフェ」を現代のブラジルを舞台に作り変えたリメイク作品。

同年、初の2枚組となる6作目「ヒッツ・イ・ダブズ」(Epic/Sony)をリリース。2枚組のうち1枚はベスト・アルバム、もう1枚がダブ・アルバム。後者ではマッド・プロフェッサー、リー・ペリー、スライ・ロビー、オーガスタス・パブロ、Uロイ、スティール・パルスなど錚々たる顔ぶれのジャマイカ勢がシダーヂ・ネグラをリミックス。「ダウンタウン」にはシャバ・ランクスが参加している。日本ではベスト盤の方のみが「ヒッツ」のタイトルで発売された。

2000年に7作目「エンクアント・オ・ムンド・ジラ」(Epic/Sony)を発表。管楽器の出番が減りギター・サウンドが打ち出された。プロデュースはリミーニャに加えてシコ・ネヴィス、パウ・ハウフェスが参加した。作詞陣にはエリヴェルト・ヴィアンナ、ジョルジ・マウチネル、ネウソン・モッタなどが起用された。また、ギターでホドリゴ・カンペロ、ペドロ・サー、ダヴィ・モライスが参加している。

シダーヂ・ネグラは大成功を収めながらも、バンドの姿勢や初心を忘れることはなかった。今も故郷バイシャーダ・フルミネンシ地域のバンドたちを支援しているという。

2002年には8作目「アクースチコMTV」(Epic/Sony Music)を発表。ジウベルト・ジウ(ジルベルト・ジル)の「エクストラ」にはジウ本人が参加している。

2004年、9作目「ペルト・ヂ・デウス」(Epic/Sony Music)を発表。ボブ・マーリィ「コンクリート・ジャングル」のポルトガル語カヴァー「セウヴァ・ヂ・ペドラ」を収録したこのアルバムは、ジャマイカのスタジオでミックスを敢行。原点回帰ともいえる、レゲエとソウル色を打ち出した作品となった。ゲストでハッピンウッヂ、アントニー・Bが参加。

2005年、初来日。過去に2度来日がアナウンスされたもののキャンセルになっていたため、3度目の正直でようやく来日が実現した。これは静岡県袋井市で開催された「ブラジリアン・サマー・フェスティバル」への出演。

2006年、バンドの20周年となったこの年にはライヴ・アルバム「ヂレイト- アオ・ヴィーヴォ」(Epic/Sony Music)を発表。「Bボーイズ」、「バンバ」、「オ・パライーゾ・テン・ウン・テンポ・ボン」など、7曲の初出曲を収録している(うち3曲はスタジオ録音曲)。

2007年、長年所属したソニーを離れEMIよりライヴ・アルバム「フィヴェルサォン – アオ・ヴィーヴォ」(EMI)を発表。ニテロイのポプラール劇場でのショウを収録したもの。彼らが敬愛するアーティスト、カズーザ、シコ・ブアルキ、ジョルジ・ベンジョール、レジアォン・ウルバナなどの曲をレゲエ・ヴァージョンで聞かせている。とくにカズーザにリスペクトを表し、かつてカズーザを手掛けたニロ・ホメロをプロデュースに迎える。

2008年、トニ・ガヒードが脱退。トニは10人編成のスーパーバンド、Flecha Black フレッシャ・ブラッキを結成、しばらく活動した後、ソロ活動をはじめた。

シダーヂ・ネグラは、ミナスジェライス州で活躍するソウル・バンド、ビリンブラウンのアレシャンドリ・マサウを新ヴォーカルに迎え、アレックスはリオに引っ越した。

同年、今度はギターのダ・ガマが脱退。ダ・ガマはソロに転じて、翌2009年にアルバム「ヴィオラス・イ・カンソンイス」(Reggae Brasil)を発表した。この後しばらくシダーヂ・ネグラはアレシャンドリ、ラザォン、ビノの3人で活動した。

2009年、脱退したトニ・ガヒードがソロ「トド・メウ・カント」(TORA)を発表。

2010年、3人になったシダーヂ・ネグラは12作目「キ・アッシン・セージャ」をインディペンデント・レーベルから発表。キングストン出身(現在はNY在住)の重鎮DJランキン・ジョーが参加した。プロデュースはニロ・ホメロ。

2011年、トニがグループに復帰を告知、2012年に正式に復帰した。

2013年、シダーヂ・ネグラは13作目「ヘイ! アフロ」を発表した。本作もジャマイカでミックスが行われた。プロデュースはリミーニャ。「オーバー・ザ・レインボウ」のカヴァーを収録。ルーツ・レゲエ、R&B、ダンスポップ、サンバが混在するシダーヂ・ネグラらしい作品。レゲエ、ダブ、サンバ・ホマンチコ、ソウルが融合した「コンタート」などはシダーヂ・ネグラならでは!

2014年、ブラジル最大の地上波放送局TVGLOBOが毎年旬なアーチストを集めて開催する新番組発表会「Vem Ai」で、シダーヂ・ネグラはオープニング アーチストを務める。

※参考:Dicionário Cravo Albin da Música Popular Brasileira,Clique Music,Jovem Pam,UFRJ

(文/麻生雅人、写真提供/Cidade Negra)

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