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<連載>軍政開始から50年(1) 伯国の歴史を変えた2日間

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今年(2014年)の3月31日で、伯国で21年間続いた軍事政権誕生から50年となった。それにちなみ、伯字紙は連日大きな特集を組んでこの日を振り返っているが、今日から5回にわたり、軍政について連載する。第1回は、軍事クーデターがどのように起こったかを改めて振り返る。

それは1964年3月31日、ミナス・ジェライス州ジュイズ・デ・フォーラの第4陸軍司令官、オリンピオ・モウロン・フィーリョ将軍の指揮する同支部の反乱からはじまった。同支部は同日午前3時、“ジャンゴ”ことジョアン・グラール大統領がそのとき滞在していたリオの旧大統領官邸に向けてクーデターを敢行すべく軍事行進をはじめた。

モウロン将軍の反乱は当初、軍にとっても寝耳に水の反乱で、軍の他の支部は協力をためらっていた。カステロ・ブランコ陸軍総司令官はモウロン将軍を止めようとさえ試みた。大統領護衛担当の軍隊も、反乱はすぐに鎮静できると思っていた。

だが、他の軍部がジャンゴ氏側に付かなかったことから事態は一変した。

聖州の陸軍第2支部のアマウリ・クルエル将軍はクーデターに加わることに決め、午後10時、ジャンゴ氏に向け、「労働組合など、左翼的なものとの関係を一切絶つように」と命令した。だが、ジャンゴ氏はその要求を敢然と断った。だが、軍は次々と反乱側に加わり、四面楚歌となった。

翌4月1日、ジャンゴ氏は巻き返しを図るためにブラジリアに戻り、クーデターを法的に阻止しようとした。だが、ブラジリアに到着した頃には、アウロ・モウラ・アンドラーデ上院議長が軍事政権の支持を表明するなど、議会も軍に屈服し、政治的な味方も失っていた。

軍、政治、双方の支持を失ったジャンゴ氏は家族を連れ、地元の南大河州へと向かった。当時の憲法の場合、国外逃亡をしない限りは大統領の罷免はなかったが、議会は事実を歪曲して大統領罷免を敢行し、パスコアル・ラニエリ・マジーリ下院議長の大統領昇格を宣言した。その大統領の座は、10日後の4月11日にカステロ総司令官に移された。

モウロン将軍が軍事行進に踏み切った直接の原因は、ジャンゴ大統領がその前日に行なった軍人たちへの政治改革への協力の呼びかけに不快の念を抱いたこととされるが、それ以前から反乱の兆しはあった。

ジャンゴ氏は元来左翼主義者的な思想の持ち主として知られていた。1953年に労働相として入閣した際には「最低賃金100%増」などを提言し、企業家たちの反感も買っていた。1961年に、ジャニオ・クアドロス大統領の辞任で副大統領から大統領に昇格した際も、保守派や軍が議会優先を提言し、政治実権は新たに設ける首相職に任せるよう求められ、実際にタンクレード・ネーヴェス氏が首相として就任した。

結局、1963年に行なわれた国民投票で国民の80%が議会優位に反対し、ジャンゴ氏は実権を取り戻した。だが、同氏の存在は、キューバ危機直後で南米諸国の社会主義化を恐れた米国にも、危惧すべき存在と恐れられていた。(続く)

(記事提供/ニッケイ新聞、写真/Fernando Frazão/Agência Brasil)
写真は2013年、リオのレイラ・サリス協会(IMS)で開催された「Em 1964 – Arte e Cultura no ano do Golpe(1964年に:軍政時代のアートと文化)」展より

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