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<連載>軍政開始から50年(5)軍政を狂わせたインフレ

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最終回の今回は、軍事政権が終わっていく過程について検証する。

伯国の軍政は、軍政令第5条(AI5)を後ろ盾とする圧政と、「ブラジルの奇跡」とも称されたメジシ政権時代(1969~74年)の年平均10.2%にも及ぶ経済成長があったとはいえ、揺るぐことがない安定的なものではなかった。

1974年のガイゼル政権時に行われた選挙で、軍政側の国家革新同盟(ARENA)は全州の知事職を獲得したものの、上院選挙においては22の議席中16人を野党の民主運動(MDB)に奪われ、国民の軍政への不満を伺わせた。

また、好調だった経済事情も長くは続かなかった。アントニオ・デルフィン・ネット財務相時代(1967~74年)には、ジャンゴ大統領時代に100%だったインフレ率が10%台まで落ち、輸入に頼っていた工業製品を自国製に変えることで大きな経済成長を得ていた。

だが、石油ショックが伯国経済を狂わせた。

73年に4倍、79年に約2.8倍上がった原油価格は世界的なインフレを引き起こし、現在と異なり、石油の80%を輸入で頼っていた当時の伯国に大きな打撃を与えた。

さらに、石油ショックに伴い、米国が金利を数年の内に5%から19%へ引き上げたことが、伯国をさらに苦しめた。それは当時、伯国が工業発展のための巨額の借り入れを米国から行い、工業機器や部品のほとんどを米国から購入していたためだ。これにより伯国は米国に巨額の負債を抱えてしまう。これで、フィゲイレード政権下の80年代以降のインフレ率は毎年のように100%を超えるようになり、国内総生産もマイナス成長を記録する事態となった。

また、時を同じくして79年の恩赦法で失脚していた政治家が復活し、80年には政党結党の自由も認められた。82年の下院選では旧ARENAの社会民主党(PDS)と旧MDBの民主運動党(PMBD)との議席数の差が35まで縮まった。80年の聖州ABC地区の労組ストを率いて一躍注目された、後のルーラ大統領率いる現政権の労働者党(PT)は初の同下院選で8議席を獲得した。

83年からは国民が直接選挙での大統領選挙を求める「ジレッタス・ジャー」運動が起こり、民主化はすぐそこまで迫った。結局85年1月の選挙は議員間でのものとなったが、民主化推進派推薦のタンクレード・ネーヴェス氏が軍政派推薦のパウロ・マルフ氏に圧勝し、軍政は21年の歴史に幕を閉じた。

(記事提供/ニッケイ新聞 www.nikkeyshimbun.com.br/‎、写真/Fernando Frazão/Agência Brasil)
写真は2014年4月1日。学生、社会運動、労働組合、左翼運動などの活動家がリオ市内旧市街地区のリオブランコ通で1964年の軍事クーデターへの抗議デモを行った。ボードには拷問と検閲を繰り返すな、と書かれてある

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