ブラジルのモダニズム建築完成後14年間も封印された「サンフランシスコ・ヂ・アシス教会」

2014年 04月 14日

パンプーリャ 教会

ポルチナリが最初に教会を訪れたときのことを、パンプーリャ湖建築群を計画した張本人である、当時ベロオリゾンチ市長だったジュセリーノ・クビシェッキ(市長職は1940~45年、後にブラジル大統領)が書き残しています。

「とても天気の良い晴れの日で、ガラス窓から陽が射して色とりどりの輝きをみせていた。教会の中に映っていた光の線はとても美しく、感動したポルチナリはさっそく紙とペンを取り出して構図の下書きを始めた」(「De B.H. a Brasília」 Estado de Minas, Belo Horizonte, 22 dez. 1987)

モダニズム建築の粋を集めたサンフランシスコ・ヂ・アシス教会は完成後、教皇庁ベロオリゾンチ支部のチェックを受けて、教会として正式に認可されることになっていました。

しかし検分を終えたベロオリゾンチのDom Antônio Santos Cabral ドン・アントニオ・サントス・カブラウ大司教は、教会として認める儀式を断ってしまいます。司教は、この建物はモデルニスタの個人的な作品となっていて、教会としては受け入れられないと語っています。

カブラウ大司教は、教会に仕える人々の話も建設の過程で一切取り入れられていないことも問題にしたそうです。特にポルチナーリの聖フランシスコ・ヂ・アシスにまつわる一連の絵がアーティストのファンタジーとなっていて、信者や教会に仕える人々には不評だったとされています。

動物と自然の守護聖人である聖フランシスコ・ヂ・アシスに関しては様々な動物に囲まれている絵がよく描かれますが、本来、犬が描かれる場所に狼が描かれるといった独創性も、問題視されたようです。

「モデルニズモという観点からは、前時代の芸術やアカデミズムと戦い、革新的な表現を求めることは理解しています。しかし教会として認められるものではありません。神の思し召しには反していると考えます」と大司教は言い残しています(次ページへつづく)。

(写真・文/麻生雅人)