サンパウロに青空市(フェイラ)が誕生してから100年

2014年 08月 26日

青空市

サンパウロの青空市が始まったのは記録の上では1914年。ワシントン・ルイス・サンパウロ市長(当時)が条例710にサインをして公式に青空市がスタートしたという。

同市で最初に公式な青空市が開催された場所はラルゴ・ジェネラウ・オゾーリオだという。26人の商人が参加した。2番目の公式な青空市が行われた場所はラルゴ・ド・アロウシで、116人の商人が参加した。

翌年(1915年)までにはさらに5つの青空市が誕生した。うちふたつはラルゴ・ジェネラウ・オゾーリオとラルゴ・ド・アロウシに出店され、残る3つは、ラルゴ・モライス・ヂ・バホス、ラルゴ・サンパウロ、サンドミンギス通りに店を出した。

現在、サンパウロの青空市で商売をしている人の60%が男性(7211人)で40%が女性(4862人)。うち、66% (7865人)が36~65歳。25歳以下の若者の姿はあまり見かられず、3%(319人)だという。反対に高齢者は増加しており、13%(1678人)が66~95歳に属する人たちとなっている。

また、市場で働く人は、親子や夫婦など、家族で商売をしている人が多い。

エイコ・ミウラ・トクノ(65)さんが青空市で商売をはじめたのは今から38年前。最初の息子がお腹にいるときに、夫のヨシロー・トクノ(66)さんと一緒に、父親から譲り受けた店で商売をはじめた。

「ほかの人から聞いた話では、父は青空市で野菜を売っていたそうです。始めは行商を行っていましたが、店舗を買って、青空市でものを売るようになりました」(トクノさん)

トクノさん一家は現在、週に5カ所の市に出店している。末っ子も市の商売を鉄だっているが、運営面で良心をサポートしている。農家と交渉して、売り物の野菜を仕入れるのも彼の仕事だ。彼は毎朝、市内から84km離れたビリチバ-ミリンにある農場まで出向いて野菜を仕入れている(次ページへつづく)。

(文/麻生雅人、写真/Cesar Ogata/Secom)
サンパウロ市内の青空市場。写真上、家族経営で行う店舗が多い