インテル本拠地ベイラヒオ・スタジアムにフェルナンドン(フェルナンダォン)記念像建立される

2015年 01月 4日

フェルナンダォン記念像

ブラジル最南端の州リオグランデ・ド・スールで、2014年ワールド・カップの舞台として使用されたのが、ベイラヒオ・スタジアム。

こちらの州のサッカー・チームとしてGREMIO(グレミオ)とINTERNACIONAL(インテル)のビッグ2があり、両チームのライバル対決はクラシッコGRE-NALと呼ばれ、過熱します。

州都ポルトアレグレに流れるグアイバ川のふもとにあるのでBEIRA-RIO(川添い)としてのネーミングがあるこちらのスタジアムは、インテルのスタジアムです。

先月(もう去年ですね)、12月17日にこちらで式典がありました。はい、私もその場にいました。

さて、サッカーに詳しい方なら、同州が出身の有名選手を何人かすごに思いつくかと思います。現ブラジル代表監督ドゥンガ、 82年黄金のカルテットの一人ファウカォン(ファルカン)、今注目選手のアレシャンドリ・パット。いずれもインテルですね。

グレミオの有名選手を挙げると、そう、あの芸術サッカー(Futebol Arte)のロナウジーニョ・ガウーショですね。

しかし、この式典当日の主役は、いずれも違います。何とフェルナンドン(フェルナンダォン)でした。

残念ながら去年の6月、ヘリコプターで移動中の墜落事故により、彼は星になってしまいました。

5年間インテルのフォワードとして活躍。デビュー試合が2004年でいきなりクラシッコGRE-NALでした。その試合で彼はゴールを決め、それもクラシッコ歴代ちょうど1000点目だったのでセンセーショナルでした。

その後チームのキャプテンとしてこよなくチームを愛し、愛され、2006年には南米チャンピオン(リベリタドーリス杯)になり、その年に来日、クラブ世界一を掛けスペインのバルセロナとの対戦に勝ち、世界一になりました。

私はその模様を日本でテレビでの観戦ですが、鮮明に覚えてます。

準決勝でまだあどけない少年だったパットの妙技。肩でポンポンとリフティングしながらのボール運び、見事でしたね、ブラジルの華麗なサッカーに目がマルになりました。

多分あのシーンはYoutubeでもアップされてると思います。人気バルサのユニフォームを着て解説してたお笑いタレントのさんまちゃんも最後は慌てて着替え、世界一になったインテルを迎えインタビューする姿も忘れられません。

この決勝戦が行われたのが、8年前の12月17日でした。

その栄光を記念して同じ12月17日に当時のキャプテンでもあったフェルナンドンを讃えて作られた銅像が今回初披露されたのです。

多くのサポーターが集っての祝典、サンバあり、花火ありのお祭り騒ぎで盛り上がりました。このときは混雑していて銅像とのツーショット撮影はとても無理でした。そして年が変わり2015年、再度スタジアムを訪れる機会があり、今回ツーショットを撮らせてもらいました。

Fernandão Eterno(永遠のフェルナンドン)。歴史上の選手となった彼は多くのインテル・ファンのハートの中、記憶の中そして語り継がれて行くので、いつまでも生き続けます。不滅です。

(文/土居清光エミリオ、記事提供/土居清光エミリオFacebook、写真/Alexandre Corrêa/Sport Club Internacional (17/12/2014))
写真は2014年12月17日、ベイラヒオ・スタジアム。フェルナンドン(フェルナンダォン)像披露式典

著者紹介

土居清光エミリオ Emilio Kiyomitsu Doi

土居清光エミリオ Emilio Kiyomitsu Doi
神奈川県横浜市生まれの浜っ子。7歳のときに、父が描いた夢と共に家族でブラジルに移民。約1か月の船旅でサンパウロに上陸、以降11年間サンパウロで生活を送る。その後、一度日本に帰国するも、多感な思春期の頃を過ごしたブラジルでの生活が忘れられず、再移住を決意。現在、念願の永住権を取得してガウーショに囲まれながらリオグランジドスウ州で生活中。

Facebookでブラジルのさまざまなことを紹介中( https://www.facebook.com/kiyomitsuemilio.doi )。
コラムの記事一覧へ