人気バンド「パット・フー」、高井フェルナンダ独占インタビュー(「ニッケイ新聞」)。家族の秘密を語る。日ブラジル国交樹立120周年を記念した曲を野宮真貴さんと制作中

2015年 04月 23日

パット・フー(パト・フ)は1992年、同州都ベロ・オリゾンテ(ベロオリゾンチ)で結成されたオルタナティブ・ロックバンド(非商業的、自由で型にはまらないロックの意)。大衆音楽というよりは中流階級以上を対象としており、2001年、米国のニュース雑誌「タイム」が選んだ世界のバンド・ベスト10にも選ばれた。

ソロとしても活動の幅を広げ、2014年3月には3枚目となるソロCD「ナ・メジア・ド・インポッシーヴェウ」をリリース、「オ・エスタード・ジ・ミナス」などメディアにコラムを寄稿するなど文筆業にも携わる。

地理学者をしていた父(故人)の仕事の都合で、アマパー州セーラ(セーハ)・ド・ナヴィオで生まれ、サルバドールやジャコビーナ等バイーア州内を転々とし、9歳からベロオリゾンチに住む。いずれも日本人の少ない地域で、「日系社会との縁は薄かった」という。

「私の家族は、母がポルトガル系なので半分はブラジル人。ベロ・オリゾンテ(ベロオリゾンチ)にも日系協会はあったけど、日本人にしか門戸を開いていなかった。だから日本文化との接触は、じっちゃん、ばっちゃんだけだった」

祖父母の利太・秋子夫妻は子ども移民で、それぞれサンパウロ州ルセリア、バストス各地に入植、コーヒーや蚕の栽培に従事した。

フェルナンダタカイ

フェルナンダさんは「祖父は笠戸丸移民」と信じていたが、ブラジル日本移民史料館の「足跡プロジェクト」(乗船者名簿検索システム)で調べると、曽祖父・利三郎さんと祖父・利太さん(共に兵庫出身)は1925年の河内丸、秋子さん(愛媛出身)は27年に渡伯していた。

休暇や正月、クリスマスは祖父母の住むサンジョゼ・ドス・カンポス市を訪ね、日本文化に浸って過ごしたという。

「普段はばっちゃんがご飯を作るけど、私たちが遊びに行くと、じっちゃんが私の大好きなすき焼きを振舞ってくれた。祭りの時は、寿司や刺身、餅、鉄板焼きなんかのご馳走もあった」と懐かしげに回想した。

曽祖父母との関わりもあったという彼女は「曽祖父の利三郎は元軍人で、臣道連盟のメンバーだった」との意外な事実を明かした。

つづきはニッケイ新聞にて。

(文/児島阿佐美、写真・記事提供/ニッケイ新聞)
写真は祖父母とフェルナンダさん。在サンパウロ総領事館の依頼に応え、日ブラジル国交樹立120周年を記念した曲を野宮真貴さんと制作中

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