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あれから1年。“ブラジルサッカーが崩壊した日”を振り返る声は…

ワールドカップブラジル大会 ブラジル対ドイツ

「あの日、俺にとってブラジルサッカーが死んだ瞬間だったよ」と、ブラジルで母がタクシーに乗ったとき、運転手が話したそうだ。

あの日とはもちろん、1年前の2014年7月8日。ワールドカップブラジル大会準決勝でブラジルがドイツに7-1で破れ、歴史的な大敗を演出した日のことだ。あれからまる1年が経った。

自国開催ということもあって、その日もブラジルは祭りムードだった。しかし、ドイツはアウェイであるにも関わらず、ブラジルを“抹殺”してしまったのである。前半だけで5-0で折り返すというこの試合、サッカー王国の姿はどこにも見当たらなかった。

筆者はテレビで観戦していたが、ドイツが面白いくらい点を入れるので、3点目が入った後、笑いながら画面をみていた。祭りムードから諦めムードになり、まだ試合が前半途中にも関わらず会場を後にするサポーターもいた。

2010年のワールドカップ南アフリカ大会から何も変わっていなかった。ブラジルはリードされると何もできず、精神面・戦術面で、またも弱さをみせるだけだった。

ドイツに4点目が入り、GKジュリオ・セザールが諦め顔を見せたとき、ブラジル国民も負けを確信したことだろう。テレビには、会場で泣く人の姿も映し出されたが、ドイツの猛進は止まらない。

前半でゴールを入れすぎたことに疲れたのか、ドイツは後半、ホスト国に対し遠慮してるかのようにペースを落とした。それでも2点を入れて7-1で2002年ワールドカップのリベンジを果たしたのであった。

2点目を入れたFWクローゼは、これまでロナウドが保持していたW杯最多得点記録も塗り変えてしまった。

テレビで表示される得点者のスコアボードもスクロールしないといけないくらい点を取られるなんて、ブラジル人にとっては屈辱的な状況だった。

僕にとってこの試合は、1950年ブラジルW杯決勝でウルグアイに逆転負けを喫した、”マラカナンの悲劇事件”以上にブラジルサッカーの歴史に刻まれることとなった。

そしてブラジルは、3位決定戦でもショックから起き上がれず、オランダに3-0で崩れ散るのであった。

何が問題だったのかを分析する声も、さまざまなメディアを通じて多くの人が語っている。そのうちいくつかを紹介しよう。

「フェリペ・スコラーリ監督の戦術が古すぎたこと。就任当時、パルメイラスを2部に落としていたばかりだったので彼が代表監督に相応しくない声もあった。その他、彼が優勝した2002年W杯には“3R”のロナウド、リバウド、ロナウジーニョがいた。ブラジル大会では優れた“R”不在だった(MFラミレスはいたけど)」

「ブラジルのマスコミが代表選手をヒーロー扱いし過ぎたこと。これによってブラジル国民は6度目の優勝を信じて疑わなかった」

「前年のコンフェデレーションズカップ優勝したことでW杯に対して過信していたこと。コンフェデ杯ではFWフレッジが大活躍したが、W杯では不発に終った」

「先制点を取られている試合での、選手の精神的な配慮が足りなかったこと」

「開催国ブラジルはW杯予選が免除になったことで本気の勝負ができなかった」

その他、当時キャプテンだったチアゴ・シウバが不在だったことと、ネイマールが不運な骨折も挙げられているが、彼がいても結果的に同じだったと思う。個人技に頼るサッカーより戦術面を重視したサッカーが勝てる時代になっているからだ。

国民の信頼を得るように、これから10月に2018年W杯南米予選が開始されるので、コパ・アメリカで見せなかった強いブラジルサッカーをみせて欲しい。

(文/Masao Asano、写真/Marcello Casal Jr/Agencia Brasil)
写真は2014年7月8日、ワールドカップブラジル大会でドイツに大敗を喫したブラジル代表

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著者紹介

浅野雅雄 Masao Asano ブラジル出身。来日する前、16歳まで住んでいた地域がサンパウロFCのホームグラウンド近くだったので自然と“サンパウリーノ”(サンパウロFCファ ン)になる。日本で大学卒業後、一般企業に勤めたが母国の心を忘れず、ブラジルと関係のある企業へ転職。現在はアイピーシーワールドのシステム・エンジニア、雑誌「ヴィトリーニ」で最新テクノロジー記事を担当。