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【8月17日誕生日のブラジル有名人】ゼゼ・ヂ・カマルゴ

ゼゼ・ヂ・カマルゴ

ゼゼ・ヂ・カマルゴことミロスマール・ジョゼー・ヂ・カマルゴは、ブラジル内陸部にあるゴイアス州ピレノーポリスの出身。1963年8月17日生まれの52歳。弟と結成したセルタネージョのデュオ、ゼゼ・ヂ・カマルゴ・イ・ルシアーノの一員であり、歌手、作曲家だ。

セルタネージョは、いわばブラジル版のカントリー・ミュージック。といってもロマンチックなバラードもあればフォホー調の曲もあり、スタイルは幅広い。ブラジルでは全国的に最も幅広く聴かれている音楽のひとつといえるだろう。

父親からハーモニカやアコーディオンを与えられ歌を教えられるなど、熱心な教育を受け育ったゼゼは、10歳の頃には弟のエミヴァウと一緒に地元ピレノーポリスの祭りや、バスターミナルで歌い始める。

財政難により一家はゴイアニア市に移住するが、ゼゼとエミヴァウは、とある実業家に認められ、両親のもとを離れて州内の各都市を回る巡業活動をはじめた。兄弟は順調に活動を広げていったが、その矢先、交通事故により弟エミヴァウが亡くなってしまう。

一時は歌を歌うことができなくなったゼゼだが、18歳で結婚、サンパウロに移住し作曲家としてキャリアを再開、次第にその才能が認められていった。

1991年、ルシアーノと名乗った10~11歳年下の弟ウェウソンと共に、デュオ「ゼゼ・ヂ・カマルゴ・イ・ルシアーノ」を結成。最初のアルバムに収録されたバラード「エ・オ・アモール」が大ヒット。アルバムもミリオンセラーを達成した。

その後、2003年まで毎年、デュオ名「ゼゼ・ヂ・カマルゴ・イ・ルシアーノ」をタイトル名にしたアルバムをリリース、いくつものヒット曲を生み出した。テレビのノヴェーラ(ブラジルのドラマ)のサウンドトラックへの抜擢、アメリカ合衆国ナッシュビルへのコンサートツアー、スペインでのアルバム収録など、キャリアを積んでいき、ゴールドディスク賞、ダイアモンドディスク賞など、数々の賞を獲得している。

また、2003年と2004年には在日ブラジル人コミュニティのために来日、浜松や名古屋などで公演を行っている。

ブレーノ・シウヴェイラ監督による映画「フランシスコの二人の息子」(2005年、日本では2006年公開)ではゼゼ・ヂ・カマルゴ・イ・ルシアーノとその家族が描かれ、ブラジル国内で大ヒット映画となった。

2014年、ゼゼ・ヂ・カマルゴ・イ・ルシアーノは、ブラジルを代表するロックンローラー、故ハウウ・セイシャスにオマージュを捧げた曲「テオーリアス・ヂ・ハウウ」を発表した。当時ゼゼは「僕は彼のファンなんだ。LPレコードは全部持っている。残念ながら(生前に)個人的に親しくすることはできなかったけれど」と発言している。同曲を収録した同名アルバム「テオーリアス・ヂ・ハウウ」にはジミー・クリフの大ヒット曲「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」のポルトガル語カヴァーなども収録されている。

以下、筆者オススメの曲を紹介しておこう。

イチオシは「テオーリアス・ヂ・ハウウ」(2014)より「フローリス・エン・ヴィーダ」

「ゼゼ・ヂ・カマルゴ・イ・ルシアーノ」(93)より「サウダージ・バンジーダ」

「ゼゼ・ヂ・カマルゴ・イ・ルシアーノ」(95)より「パォン・ジ・メウ」

「ゼゼ・ヂ・カマルゴ・イ・ルシアーノ」(96)より「インジフェレンサ」

「ゼゼ・ヂ・カマルゴ・イ・ルシアーノ」(98)より「プラ・ナォン・ペンサール・エン・ヴォセ」

(文/柳田あや、写真/Renand Zovka/São João Caruaru (29/09/2015))
写真は2015年6月29日、ペルナンブッコ州カルアルー市。フェスタジュニーナのイベントに出演したゼゼ・ヂ・カマルゴ・イ・ルシアーノのゼゼ・ヂ・カマルゴ

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