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【9月14日誕生日のブラジル有名人】アルリンド・クルス

アルリンド・クルス

アルリンド・クルスことアルリンド・ドミンゴス・ダ・クルス・フィーリョは、リオデジャネイロ市郊外のマドゥレイラ出身。1958年9月14日生まれの57歳(2015年)。

カヴァキーニョやバンジョーといった撥弦楽器を得意とするプロミュージシャンで、大きな体から放たれる高い声で、人々を魅了する。溶け合うハーモニーと巧みなメロディーを持つ音楽を次々と生み出し、サンバ界には欠かせない存在となっている。

父親もアマチュアながらミュージシャンだったため、サンバの巨匠カンデイアを含む多くの作曲家や演奏家が集まり、常にセッション(ホーダ・ヂ・サンバ)が行われている家庭に育った。

7歳のときに、初めてカヴァキーニョを手にする。すっかり楽器の虜となったアルリンドは、弾き方を教わるため、父親の帰宅をいつも待ちわびている少年だった。

12歳のときには、すでに多くの音楽に触れ、兄で作曲家のアシール・マルキス同様、ギターを習得した。

2年間、音楽理論や読譜学習、クラシックギターをフロール・ド・メイエール学校で学んだ。この頃から、カンデイアをはじめ様々なアーティストとホーダ・ヂ・サンバを行ったり、プロのミュージシャンとして活動を始める。

彼の最初の録音は、カンデイアと共に行ったシングル盤(オデオン)と「ホーダ・ジ・サンバ」というLPとのこと。後者は、アルリンドの名がクレジットされているカンデイアのLP「サンバ・ジ・ホーダ」(タペカール、1975)のことかもしれない。

15歳のとき、ミナスジェライス州にある航空士官候補生の予備校であるバルバセナ校を修了。在学中も校内のコーラス隊で歌うなど、音楽から離れることはなかった。

予備校を卒業すると同時に、当時新しい才能を続々と生み出して注目されていたブロコ・カルナバレスコ(路上のカーニバルで行進をする団体)、カシッキ・ヂ・ハモスで開催されていたホーダ・ヂ・サンバに参加。毎週木曜日は、ジョルジ・アラガォン、ベッチ・カルヴァーリョ、ベト・セン・ブラッソ、ウビラーニ、アウミール・ギネットらとともに演奏した。またこのホーダには、後にアルリンドと同じ道を歩む良きパートナー、ゼカ・パゴヂーニョも加わっていた。

そしてカシッキ・ヂ・ハモスがアルリンドの作曲家としての才能を見出すことには、時間を要さなかった。

カシッキのホーダ・ヂ・サンバに参加した最初の年、アルリンドが作曲した12曲が、様々な演奏者によってレコーディングされた。最初の曲「リサォン・ヂ・マランドゥラージェン」を皮切りに、「グランヂ・エホ」(ベッチ・カルヴァーリョ)、「ノーヴォ・アモール」(アウシオーニ)など、多くのヒット曲を生んだ。

1980年代には、リオ郊外のカスカドゥーラで「パゴーヂ・ド・アルリンド」を主催。

1982年、ジョルジ・アラガォンが脱退したサンバの人気グループ、フンド・ヂ・キンタウへ加入。以後12年間でほとんどのパゴーヂの演奏者と共演し、「セジャ・サンビスタ・タンベン」、「ソ・プラ・コントラリアール」、「カステロ・セラ」、「オ・マッパ・ダ・ミーナ」、「プリメイラ・ダマ」といった美しいヒット曲を生み出し、グループを牽引する。

同時にアルリンドの曲はさまざまなサンバのアーティストに取り上げられた。

ゼカ・パゴヂーニョへは、「バガッソ・ヂ・ラランジャ」、「カザウ・セン・ヴェルゴーニャ」、「ドール・ヂ・アモール」、「クァンド・エウ・チ・ヴィ・ショランド」を提供。

ベッチ・カルヴァーリョへは、「ジロー・コン・ピメンタ」、「パルチード・アウト・モラ・ノ・メウ・コラサォン」「ア・セッチ・シャーヴィス」を提供。

ヘイナウドへは、「プラ・セール・ミーニャ・ムーザ」、「オンヂ・エスタ」を提供した。

アルリンドは、550以上の曲を持つ男として名をはせたと同時に、、サンバにバンジョーを取り入れることを広めた人物だともいわれている。

1993年、フンド・ヂ・キンタウを脱退し、ソンブリーニャと組んで新たな活動を開始。そして数年後に結婚、同じアルリンドという名前の息子をもうける。

90年代半ばから、アルリンドは贔屓のエスコーラ・ヂ・サンバ(サンバ団体)「インペーリオ・セハーノ」のサンバエンヘード(カーニバルの行進のテーマ曲)を作曲するようになる。

1996年、「イ・ヴェラス・キ・ウン・フィーリョ・テウ・ナォン・フォージ・ア・ルタ」で、初めて同団体の作曲に参加。翌年もアルリンドは曲に加わったが、チームはグルーポAへ降格。しかしながら、しかしながら、グルーポAでの1999年と2001年の作曲にも貢献する。

2006年にはサンバ・エンヘードが、新聞「オ・グローボ」から優秀団体に贈られる “エスタンダルチ・ヂ・オウロ” を受賞する。

2008年、別のサンバ団体「グランヂ・リオ」にサンバ・エンヘード「ド・ヴェルヂ・ヂ・コアリー・ヴェン・メウ・ガス,サプカイ!」を提供する。

今も、アルリンドはソロとしてのキャリアを継続している。
Hoje em dia Arlindo prossegue em carreira solo, na evolução do samba.

故郷マドゥレイラのサンバチーム、インペリオ・セハーノと自身のパゴーヂの活動、水曜夜と日曜午後にカルナヴァウのブロコ、カシッキ・ヂ・ハモスの練習場で行われる「ホーダ・ヂ・パルチード・アウト」の活動を、30年ものあいだ続けている。

2009年半ばに、ここ数年のサンバ界を変えた功績を称え、DVDとCDで「アルリンド・クルス・MTV・アオ・ヴィーヴォ」(DeckDisc)をリリース。

アルリンドはサンバの本質を維持し、ラジオで再びサンバを流し、若者へホーダ・ヂ・サンバを普及させ、MPBや他ジャンル(マルセロD2のヒップホップなど)とも交流、歌手や新しいグループのために多くの素晴らしい楽曲を提供し、パルチード・アウトからエンヘード、サンバ・ホマンチコ、社会的なサンバに至るまで、あらゆるサンバのジャンルを開拓して、ブラジルの音楽業界の変革にも貢献した。

2011年、アルバム「バトゥケス・イ・ホマンセス」をリリース。

2012年、アウシオーニ、カエターノ・ヴェローゾ、ゼカ・パゴヂーニョなどのゲストを迎えたライヴや新曲を収めたDVD&CD「バトゥケス・ド・メウ・ルガー」をリリース。

2014年にはリオデジャネイロ市とNGOの主導で、ヘアレンゴに「アルリンド・クルス文化センター」が設立された。

(文/柳田あや、写真/Divulgação)

※初出原稿に数か所で記述ミスがありましたので9月20日付で改稿しています。ケイタブラジルさん、ご指摘ありがとうございます!

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