ブラジルで40年以上愛されつづけている小説「ぼくのオレンジの木」、日本語版発売

2015年 11月 11日

角野栄子

「魔女の宅急便」や「おばけのソッチ」シリーズなどの著作や、ディック・ブルーナーのミフィシリーズの翻訳などでも知られる角野栄子さんは、作家になる前、20代半ばのころブラジルに移民として渡った経験がある。

作家としてのデビュー作は、帰国後にブラジルでの体験をもとにした「ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて」(1970年)という作品だった。昨年(2014年)にも、ブラジルを舞台にした物語「ナーダという名の少女」(角川文庫)を発表している。

「私は25歳の時、1959年に移民としてブラジルに参りまして、2年間暮らしました。ブラジルが大好きです。(ブラジルの人たちは)繊細さと、おおらかさと、人を赦す気持ちがある人たちだなと思います。未だにどこへ行っても必ずブラジルのことをお話しします。今日も大学で年に1回だけ行う講義でブラジルの話をしてまいりました(笑)」(角野栄子さん)

角野さんの作家人生の幕を開いたのもブラジルだった。

「私はブラジルに行かなかったら、きっと作家にはなっていなかったと思います。そして私の言葉も、ブラジルに行かなかったら生まれてこなかったんじゃないかと思います。短い2年間という間で、貧乏でお金もありませんでしたけれど、ひとつも嫌な思い出はありません」(角野栄子さん)

処女作「ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて」は、ブラジルで実際に出会ったひとりの少年のことを語ったノンフィクションだ。

「この本(「ぼくのオレンジの木」)を読んだとき本当に感動して、この少年が、私が出会って最初に書いた本に書いた(ルイジンニョ)少年とだぶって。この少年もやはり、いたずらっ子でした。本当にワルだったんです、12歳で(笑)。全身を使って、私にポルトガル語を教えてくれた少年でした」

ブラジルの乾いた空気だとか、土、ところどころに生活用水のぬかるみがある土の道、板が張ってる家が続いている様子など...角野さんが滞在していたいた1959年のブラジルの記憶を呼び起されながら、この本を読み進んだという。

「いくら貧しくても、豊かな貧しさがあるんだなということを、この本から教わりました。この本を日本の子どもたちが読むことができることをうれしく思います」(角野栄子さん)

「ぼくのオレンジの木」の出版元ポプラ社ではm読者交流サイトhttp://ぼくのオレンジの木.com も開設している。

(写真・文/麻生雅人)