アンゴラから見たブラジル

2016年 05月 1日

アンゴラ外相

アンゴラを訪れたブラジル人が「アンゴラは近い」と言っていた。そうであろうか。アフリカと南米が近いはずはない、そう思うのが自然であろう。

以前、総領事としてブラジルのベレンに赴任する際、長いジャーナリスト経験を有する和田昌親氏から著書「逆さまの地球儀」を頂いた。見方を変えてみる重要性を説いたものである。

日本を中心に置く世界地図では、南米は東端、アフリカは西端、互いに遠く離れているかに見えるが、見方を変えて、大西洋を中心にすれば両大陸が遠くないということが見えてくる。

両国間にはアンゴラ航空の直行便が飛んでいる。多くのブラジル人やアンゴラ人が、容易に、そして頻繁に、日々両国間を往復している。

「Without Angola,there is no Brazil」、17世紀のイエズス会宣教師の言葉である。その頃のアンゴラは、ブラジルへの最大の奴隷供給地であった。アンゴラの首都ルアンダ近郊の沿岸に奴隷博物館がある。そのあたりから奴隷が運ばれていったのであろう。博物館には、奴隷となった人数は 300 万人にのぼるとの記載もあった。多くの労働人口を提供させられたアンゴラであるが、ブラジルの中では不幸な形ではあるが国造りに関わったのである。

1975 年アンゴラは独立を果たした。

その独立にあたってのブラジルの態度はアンゴラを強く印象付けた。国家承認に向けて他国に先駆け逸速く対応したのである。

世界が冷戦構造の中にあり、またブラジルがガイゼル大統領の下で軍事政権の真っ只中にあったという背景の中での大変興味深い決断である。

独立は僅か40年前のことである。私が学生時代にポルトガルにいた1970年代初期にはアンゴラはまだ国ではなく、ポルトガルの海外州という位置付けであった。独立闘争の中にはあったが、独立までにはその後まだ数年間を要した。独立への道は長かったのである。

国家承認40周年を迎えた2015年11月、シコティ・アンゴラ外相はブラジリアを訪問した。偶然にも、私が同地を訪れた数日後であった。同外相は、スピーチの中で、ブラジルの素早い国家承認を高く評価した。アンゴラは今でもブラジルの恩を忘れていない。

大西洋を挟んでブラジルとアンゴラを結ぶ大陸間海底ケーブル敷設という壮大な事業がある。これは、ブラジル
の事業ではなく、ブラジル・アンゴラの共同事業でもない。アンゴラの事業である。NECが請け負った事業であり、ルアンダでの調印式には私も出席した。豪華な雰囲気の中での調印式であった。

財力があり、やることも大きいのがアンゴラである。大きな事業も独自に進める力も意欲もある。近い将来、アフリカと南米を結ぶ海底ケーブルがアンゴラの力によってブラジル北東部フォルタレーザに届くことになる。両国は一層近い関係になっていきつつある。

地デジについても言及しておきたい。地デジ日伯方式ISDB-Tはブラジルと日本の協力によって広く南米に普及している。これをアンゴラでも普及させようとする計画は実現に近いところまでいった。しかし、最終的には予想外の結果となり奏功しなかった。最後の最後までわからないのがアンゴラである。この地デジを除けば両国関係は概ねうまくいっている。

アンゴラには、中国の進出が顕著で、特に大型工事では中国人の姿が目立つ。そのような中で、中国のように労働者までブラジル人で賄うというようなことはないが、ブラジルからも企業の参入は少なくない。同じ言語という利点を生かし、アンゴラ人社員を自国ブラジルで研修させ、人材育成という面で貢献している企業もある。アンゴラ最大の国立病院アゴスティーニョ・ネト病院等への医療協力のほか、職業訓練等も実施されている。またカンピーナス大学ではかなりの数のアンゴラ人留学生が受け入れられている。

地理的にもそして言語の面でも、更には文化的にも近い国ブラジルとの関係はこれからも強化されていきそうだ。日本企業もブラジル経由のアンゴラ・ビジネスということが考えられるのかもしれない。

ブラジル特報2016年3月

※「ブラジル特報」は日本ブラジル中央協会が発行している機関紙。隔月発行、年6回、会員に無料配布される。日本ブラジル中央協会への問い合わせは、E-mail info@nipo-brasil.org、TEL:03-3504-3866、FAX:03-3597-8008 まで。

(文/名井良三、記事提供/ブラジル特報(日本ブラジル中央協会)、写真/Antônio Cruz/ABr)
写真は2012年11月、ブラジリアを訪問したアンゴラのシコティ外相