リオ市でアートと文化の祭典、開催中。世界的ウォールアート作家エドゥアルド・コブラの講演も

2017年 01月 21日

1990年以降はいわゆるグラフィティアートを描き始め、ブレイクダンスのグループと一緒に活動するなど、いつもヒップホップ・ムーブメントとの繋がりがあったという。

初めて買ったレコード「HIP HOP CULTURA DE RUA」(ブラジル国内のヒップホップ楽曲を集めたコンピレーションアルバム)にも多いに影響を受けた。

ヒップホップの歌詞には、貧困、犯罪、社会批判、人種差別や偏見への抗議といったメッセージを打ち出したものも少なくないが、10代のコブラが育った環境は、そんなヒップホップに共感できる部分が多かったのだという。薬物に関するいざこざに巻き込まれたり、犯罪と関わる友人たちも周囲に多くいた。

当時、偏見はコブラの活動にも向けられていたという。80年代後半から90年代前半、グラフィティはまだ偏見の目で見られることがしばしばあり、壁に絵を描いている時、「働け、怠け者」などの言葉を浴びせられることもあったという。コブラの両親も、常にコブラをグラフィティの世界から遠ざけたいと思っていたという。

しかしコブラは、常に自身が成長できるためのものにフォーカスしていたため、ネガティブなことには影響されなかったと言う。書店や図書館、映画館、美術館に足繁く通い、常に自身のアート活動のためになることを積極的にインプットしていった。

影響を受けたアーティストに、キース・ヘリング(Keith Haring)、ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)、3Dアーティストのエリック・グローエ(Erik Grohe)、メキシコの画家ディエゴ・リベラ(Diego Rivera)などの名を挙げている。

そんなコブラがプロのウォールアート作家としてのキャリアを確立する第一歩を踏み出したのは1993年のことだった(次ページへつづく)。

(文/noriji)
映像は「HIP HOP CULTURA DE RUA」にも参加しているタイージ&DJウン