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ブラジル代表のユニフォームが白から黄色になった理由

ネイマール

サッカー・ブラジル代表のユニフォームといえば、「カナリア色」と言われる黄色が直ぐに頭に浮かぶ人も多いと思います。

「カナリア色」のユニフォームを着ていることから、「カナリア軍団」とも呼ばれ、ブラジルのサッカーとは切っても切れない印象がありますが、実は、かつてはブラジルのユニフォームは約35年間、白を基調としたデザインだったのをご存知でしょうか?

ブラジルサッカー協会(CBF)は、1914年にできた「ブラジルスポーツ連盟(FBS)」を母体にしています。1914年から1950年までの約35年間、ブラジル代表の着るユニフォームは、白いシャツと青いショートパンツでした。

ブラジルのW杯への初出場は1930年のことでした。当時のユニフォームは100%綿で出来ており、汗を掻いたり雨に濡れると重たくなったりという欠点がありました。

白いユニフォームは、1950年のW杯で起こったある悲劇を理由に永遠に葬り去られることになりました。

それは、日本語では「マラカナンの悲劇」(ポルトガル語では、Maracanaço(マラカナッソ)と呼ばれています)で有名なブラジル代表の歴史的な敗北劇です。

1950年のW杯は初めてブラジルで開催されました。開催国として初優勝を目指していたブラジルは、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムで、ウルグアイとの決勝リーグ第三戦に臨みました。ブラジルは、ここでウルグアイと引き分け以上になれば優勝することができるという状態で試合に臨んだのです。

後半でブラジルが1点を先制し優勝への期待が高まりましたが、その後、ウルグアイに2点を決められ、ウルグアイに優勝国の座を奪われる悲劇となりました。

逆転ゴールを決めたウルグアイ代表のギジャ選手によると、「会場は水を打ったような静けさに包まれ、その辺を飛んでいたハエの羽音が聞こえるようだった(O silêncio era tão grande que se uma mosca estivesse voando por lá, ouviríamos o seu zumbido.)」と証言しています。

あまりの衝撃により、自殺する者、心臓発作などで死んだ者が90名も発生しました。

Youtubeでその時の様子を見ることができます。

 

 

この悲劇を受けて、「白のユニフォーム」は「不運」の象徴と考えられるようになりました。しかし、その後もしばらくは白いユニフォームの使用は継続しています。

1952年に新しいユニフォームを作ろうという機運が高まり、リオデジャネイロの新聞とブラジルサッカー協会(CDB)の企画により、ユニフォームのデザインが募集されました。

選考の結果、19歳のアウダイール青年(Aldyr Garcia Schlle)のデザインしたユニフォームが採用されました。そのデザインは、黄金のイエロー、緑色のリブと袖、コバルトブルーのパンツに白いソックスというブラジルの国旗の色をあしらったものでした。

このカナリア色のユニフォームは1954年のスイスW杯から着用されるようになりました。

そしてマラカナンの悲劇から8年後の1958年、ペレ率いるブラジル代表は、W杯初優勝を果たしたのです(この時に来ていたのは、青のセカンドユニフォームでしたが)。

(文/唐木真吾、写真/Lucas Figueiredo/CBF)

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著者紹介

1982年長野県生まれ。東京在住。2005年に早稲田大学商学部を卒業後、監査法人に就職。2012年に食品会社に転職し、ブラジルに5年8カ月間駐在。2018年2月に日本へ帰国。ブログ「ブラジル余話(http://tabatashingo.com/top/)」では、日本人の少ないブラジル北東部のさらに内陸部(ペルナンブーコ州ペトロリーナ)から見たブラジルを紹介している。