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ペリー・ヒベイロ

ペリー・ヒベイロ (Pery Ribeiro)

  • 生年月日 : 1937年10月27日
  • 性別 : 男性
歌手、作曲家。本名Peri de Oliveira Martins ペリー・ヂ・オリヴェイラ・マルチンス。父親は作曲家、歌手の Herivelto Martins エリヴェウト・マルチンス、母親は歌手のDalva de Oliveira ダウヴァ・ヂ・オリヴェイラ。夫婦はヴォーカル・グループ、トリオ・ヂ・オウロでも活躍した。

<子役時代>
3歳の時にディスニー映画の吹き替えで芸能界の仕事をはじめた。1941年、4歳でリオ市立劇場に出演。1944年には父エリヴェウトがストーリーに関わりトリオ・ヂ・オウロが出演した映画「Berlim na batucada」(監督はLuís de Barros ルイス・ヂ・バホス)に参加している。

<プレ・ボサノヴァ~ボサノヴァ時代>
1959年、TVトゥピでカメラマンとして働いていたとき、ラジオ局ハジオ・ナシオナウのパウロ・グラシンドの番組に招かれて出演。このころから、セーザル・アレンカールの助言を受けて芸名のペリー・ヒベイロを名乗り始めた。
1960年、ドラ・ロペスとの共作で作った「Não devo insistir ナォン・デーヴォ・インシスチール」を母ダウヴァが歌った。
同年、シングル盤でデビュー。「Sofri você ソフリ・ヴォセ」 (Ricardo Galeno ヒカルド・ガレーノ とPaulo Tito パウロ・チト)などが収録されている。

1961年には、ルイス・ボンファとアントニオ・マリアによる「Manhã de Carnaval カーニバルの朝」と「Samba de Orfeu オルフェウのサンバ」、「Lamento da lavadeira ラメント・ダ・ラヴァデイラ」 (Monsueto, Nilo Chagas e João Violão モンスエート、ニロ・シャーガス、ジョアン・ヴィオラォン)、「O Barquinho(小舟)」 (Roberto Menescal e Ronaldo Bôscoli ホベルト・メネスカウ(ロベルト・メネスカル)、ホナウド・ボスコリ) 、「Inteirinha インテイリーニャ」(Luís Vieira ルイス・ヴィエイラ)を 78回転盤に録音した。
1962年、デビュー・アルバム「Pery Ribeiro e seu mundo de canções românticas ペリー・ヒベイロと彼の歌とロマンの世界」を発表。ルイス・ボンファがヴィオラォンで参加したこのアルバムには、「Meu nome é ninguém メウ・ノミ・エ・ニンゲン」 (Haroldo Barbosa e Luiz Reis アロウド・バルボーザ、ルイス・ヘイス)、 「Caminhemos カミニェーモス」 (Herivelto Martins エリヴェウト・マルチンス)、「Outono chegou オウトーノ・シェゴウ(秋の訪れ)」 (Luiz Bonfá e Maria Helena Toledo ルイス・ボンファ、マリア・エレナ・トレード) 、「Esquecendo você エスケセンド・ヴォセ」(Tom Jobim トン・ジョビン)などが収録された。

1963年、アルバム「Pery é todo bossa ペリー・エ・トドボッサ」を発表。「イパネマの娘」(Tom Jobim e Vinicius de Moraes トン・ジョビン、ヴィニシウス・ジ・モライス)が録音されたのはこの作品が一番最初だった。また同アルバムでは、「Balanço moreno バランソ・モレーノ」と、Geraldo Cunha ジェラウド・クーニャとの共作で「Evolução エヴォルサォン」と「Bossa na praia ボッサ・ナ・プライア」という自作曲も披露された。他の収録曲はホベルト・メネスカウ&ホナウド・ボスコリ作「Me lembro vagamente ミ・レンブロ・ヴァガメンチ」、「Nós e o mar ノス・イ・オ・マール」「Ah! Se eu pudesse アー・シ・エウ・プデッシ」、「Rio リオ」)、Silvio César シウヴィオ・セーザル作「O que eu gosto de você オ・キ・エウ・ゴスト・ヂ・ヴォセ」、Tito Madi チト・マヂ作「Só sei ソ・セイ」などが収録された。
1964年には「Pery muito mais bossa ペリー、ムイト・マイス・ボッサ」を発表。
1965年、レニー・アンドラーヂ、ボッサ・トレスと共に、ボアッチ(ナイトクラブ)Porão 73 ポラォン・セッテンタ・イ・トレスと、Teatro Princesa Isabel 皇女イザベウ劇場でショウ「ジェミニ・シンコ」に出演。ショウは大成功を収め、実況録音盤「Gemini V - Show na boate Porão 73 - Leny Andrade, Pery Ribeiro e Bossa Três ジェミニ・シンコ ショウ・ナ・ボアッチ・ポラォン・セッテンタ・イ・トレス」を3組の共演名義で発表した。このとき共演したボッサ・トレスとは、1966年に発表した「Encontro エンコントロ」でも共演している。

<メキシコ~合衆国時代>
1967年、レニーと共に行ったショウ「ジェミニ・シンコ」はメキシコ・シティのEl Señorialというクラブで6か月上演された後、アカプルコでも現地の音楽家も交えて上演された。メキシコでは、現地ミュージシャングループ、プリモ・キンテートと共演したジェミニ・シンコのライヴ盤「ジェミニ・シンコ・エン・メシコ」とソロ・アルバム「ペリー・ヒベイロ」を地元レーベルRVVから発売した。

メキシコから、今度は合衆国へ渡り、セルジオ・メンデスがプロデュースするグループ、Bossa Rio ボサリオに参加。Gracinha Leporace グラシーニャ・レポラッシ、 Osmar Milito オズマール・ミリート、 Manfredo Festマンフレッド・フェスト、 Otávio Bailly オターヴィオ・バイリー、Ronne Mesquita ホベルト・メスキータと共に合衆国を中心に活躍。1970年にはボサリオの一員として大阪万国博覧会でコンサートを行った。ボサリオは「ボサリオ」(A&M、1969)、「アレグリア」(Blue Thumb、1970年)、「ライヴ・イン・ジャパン」(キング、1970)の3枚のアルバムを残している。

<帰国後>
1971年にリオに戻り、Pedrinho Mattar ペドリーニョ・マタールとAgildo Ribeiro アジウド・ヒベイロによるショウ「Fica combinado assim」に出演。アルバム「Pery Ribeiro ペリー・ヒベイロ」ではtaiguara タイグアラの「Coisas コイザス」、「Agora アゴーラ」(Ivan Lins e Ronaldo Monteiro de Souza イヴァン・リンス&ホナウド・モンテイロ・ヂ・ソウザ)などMPBを取り上げた。
1972年には「Pery Ribeiro ペリー・ヒベイロ」と、レニー・アンドラーヂとの共演による「Gemini cinco anos depois ジェミニ・シンコ・アノス・アトラス」を発表した。
<br />2012年2月24日、リオで急性心筋梗塞によって他界した。

参考:http://www.dicionariompb.com.br/pery-ribeiro

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