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ベイビー・ピニャターリ

ベイビー・ピニャターリ (Baby Pignatari)

  • 生年月日 : 1917年2月11日
  • 名前 : Francisco Matarazzo Pignatari
ベイビー・ピニャターリことフランシスコ・マタラーゾ・ピニャターリ(1917年2月11日~1977年10月27日)はイタリア、ナポリ生まれ。実業家であり、1940~50年代に世界にその名をとどろかせたプレイボーイ。大藪春彦の小説「汚れた英雄」にも、プレイボーイとして残した言葉が引用されている。

雑誌「ジョイス・パスコヴィッチ(Joyce Pascowitch)」にジャーナリストのヘナート・フェルナンデスが記した記事によると、ベイビー・ピニャターリの身長は1m91㎝あり"ベイビー"というニックネームは幼少時にイギリス人の乳母につけられたという。

サンパウロを代表するイタリア系移民の富豪マタラーゾ一族の一員で、フランシスコ・マタラーゾの孫にあたる(母親のリジア・マタラーゾがフランシスコ・マタラーゾの娘)。父親のジュリオ・ピニャターリはもとも医師で、後に事業家になった。ベイビーがサンパウロに来たのは少年時代で、ダンチ・アレゲリ学校に通い、ブラジルに帰化した。

父親のジュリオはLaminação Nacional de Metais(現Paranapanema)を経営。鉱石などから金属を採取、精製、加工する従業員400人ほどの企業からスタートして会社を大きくした。ベイビーは18歳で同社で働き始め、機械の油さしや床掃除から始めた。ベイビーが21のときジュリオがこの世を去ったため、ピニャターリ持ち株会社の指揮をとるようになった。会社は銅や亜鉛など鉄以外の金属も扱い、1万1000人以上の従業員を雇うほどに成長した。ベイビーは23歳のとき、ジェトゥーリオ・ヴァルガス大統領に指名されてサンパウロ州立工業連盟(FIESP)の代表も務めた。

自家用飛行機を駆る生活を送っていたベイビーは、自身でもパウリスチーニャという飛行機の製造にかかわった。また国のため銃など兵器も製造した。第二次世界大戦が終わるころ、ベイビーは富豪となっていた。

ブラジルを代表する企業家である一方で、17歳のときからプレイボーイとして名を馳せはじめていた。22歳でマリーナ・パロディ・デウフィーノと結婚。式はローマのパラシオ・ジ・ヴェネーザ教会で1939年6月7日に行われた。翌1940年にはベイビーにとって唯一の息子となるジュリオ・チェザーレを授かった。しかし結婚は7年で破たん、1947年にふたりは離婚した。

2番目の妻となったのは、サンパウロの社交界の華だったネリータ・アウヴィス・ジ・リマだったが、この結婚も7年で終止符が打たれた(結婚は1950年~1957年)。ネリータとの離別後はしばらくボヘミアン生活に拍車がかかり、ハリウッドの女優たちと浮名を流した。

ベイビーが、現在のパナンビー地区に所有していたシャカラ・タンガラ(タンガラ別荘農園)に、オスカー・ニーマイヤーに設計を、ホベルト・ブルレ・マルクスに造園を依頼して屋敷と庭園を造ろうとしたのはこの結婚のときだったが、離婚により屋敷も庭園も未完となった。

コパカバーナ・パレス・ホテルのスイートルームを定宿として、ジェノヴァにはヨットを持ち、エレクトラの自家用飛行機も所有していた。スポーツマンでもあったベイビーはスピード狂で、BMW2800CSを運転してシルバーストンやル・マンのレースにも出ていた。

3番目の妻となったのは、父親はドイツ王家の王子、母親はフィアット創業者の娘というイラ・ヴォン・フルステンベルグ。ベイビーとイラが出会ったのは1950年代の末ごろ、イラが19歳のとき、イタリアのヴェネット州コルティーナ・ダンペッツォにあるスケートリンクにて。イラは15歳の時スペインの王子と結婚して2人のこどもも授かっていたが、王子はこどもたちとメキシコで暮らしており、イラは孤独で寂しく過ごしていた。しかし、ベイビーとイラが共にダンスに興じている写真がメディアで公開され、イラは王子と離婚することとなった。

ふたりは1961年、アメリカ合衆国ネバダ州で結婚して、ベイビーはイラを伴いブラジルに戻った。しばらくはパリとサンパウロを行き来して暮らしていたが、1963年(1964年説もある)に、合衆国のラスベガスで離婚した。一説では、イラがこどもたちの親権を得たがっていたため、ベイビーが身を引いたともいわれている。イラとは離婚はしたが、ベイビーは死ぬまでイラへの情熱は忘れなかったという。

モデルや女優としても活躍したイラ・ヴォン・フルステンベルグは映画「黄金の7人 1+6/エロチカ大作戦」(71)にも出演している。ベイビーとの離婚後もブラジルとはつながりを持ち、カルロス・アウベルトが主演したTVトゥピ局のテレノヴェラ「Na idade do lobo」(72)、映画「O amante de minha mulhe(妻の恋人)」(78、共演はダヴィジ・カルドーゾ、ミウトン・モライス)、「Desejo Selvagem(野生を求めて)」(79、ダヴィジ・カルドーゾが監督・共演)に出演した。「Desejo Selvagem(野生を求めて)」の撮影中、パリでヴァレンチノのショーに出演したイラが刺される事件が起きて、15日後に帰国したとき映画はソニア・サエギがヌードの場面に代役で出て完成されていた。

ベイビーが浮名を流した相手には有名な女優が数多くいた。イタリアの女優ロザンナ・スキャフィーノやエルザ・マルティネッリ。アメリカ合衆国の女優で「007 ダイヤモンドは永遠に」のボンドガールとしても知られ、フランク・シナトラ、ショーン・コネリー、ヘンリー・キッシンジャーとも噂のあったジル・セント・ジョン。メキシコ出身の女優リンダ・クリスチャンなど。

4番目の妻となったのは、最後の妻となったポルトガル人のマリア・ヘジーナ・フェルナンデス。約10年、ベイビーと生活を共にした。1974年、ベイビーは白血病の診断を受けた。夫婦はインド、タイ、タヒチ、中国なども訪ねた。1976年、マリアは家を出た。

ベイビーは1977年10月27日、シリオ・リバネース病院で60歳で息を引き取った。遺産を相続した息子のジュリオ・チェザーレはドラッグにおぼれ、ベイビーの財産は狡猾な弁護士たちに目をつけられ奪われてしまったという。

2番目の結婚のときにベイビーが屋敷と庭園を造るはずだったシャカラ・タンガラは、40年近く放置されていたが、ジュリオの死後、80年代後半に不動産会社が取得。90年代に入りサンパウロ市による再開発計画に伴い、ブルレ・マルクス公園となった。このとき、オリジナルの造園をするはずだったブルレ・マルクス自身が改めて造園を手掛けた。2017年、ブルレマルクス公園に隣接する土地に5つ星ホテル「パラシオ・タンガラ」がオープンした。  

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