元日本代表、三都主選手が故郷で第2の人生。パラナ州選手権1部のマリンガFCと契約

2015年 02月 25日

三都主

元サッカー日本代表三都主アレサンドロ選手(37)は21年に及ぶ日本での生活に終止符を打ち、生まれ故郷のパラナ州マリンガへ1月15日に戻った。

「長いこと離れていた両親の近くで暮らしたい」と、両親と日本人妻、4人の子供と故郷で暮らし始めた三都主選手に”第2の人生”を迎えた胸の内を、7日に自宅を訪問して聞いた。

褐色の肌にドレッドヘアーをなびかせて左サイドを猛烈な勢いで駆け上がり、対戦相手を恐怖に陥れた名ドリブラーは、16歳の若さで海を越えた日本育ちだ。

「高知の明徳義塾高校に行った時も清水エスパルスに入ったばかりの時も、『挑戦だ、試練だ』と肩肘張っていた訳じゃない。好きなサッカーを懸命にやっていたら道が開けていったよ。余計なことは考えず、得意のドリブルで勝負だったね」

プロになりMVPも受賞した清水エスパルス、当時の国内最高移籍金で移籍した浦和レッズ、浦和レッズ時代に1年期限付き移籍でプレーしたザルツブルグ(オーストリア)、黄金時代の名古屋グランパス、その全てで優勝を経験した。

最後の2年、1年ずつ所属したJ2(2部リーグ)の栃木SCやFC岐阜にも忘れがたい思い出がある。

「優勝を争うチームじゃなかったけど、監督やチームメイトとの出会いや、自分の経験を活かしてチームを上げていく助けをする経験は得がたいものだった」と振り返る。

21年も日本で過ごし、今ブラジルで”逆カルチャーショック”はないのだろうか。

「長く日本に住んだから当然考え方も日本人っぽくなるよね。ブラジル人の時間にゆるい所とか、日本みたいにキチンとしていたらいいのにと思う。でもこっちは人がおおらかなところとか、日本にない良いところもある。両方の良いところが合わされば理想的」と笑う。

最後に「今一番優先したいのはサッカーじゃない。今は妻や子供、両親のことが最優先。今まで移籍するたびに日本中どこでも、ザルツブルグにさえも一緒に来て支えてくれたから、今度は僕が家族のために生きる番。妻や子供たち、みんなで手を取り合って生きていくよ」と笑った。

23日、三都主選手とパラナ州選手権1部の地元マリンガFCとの契約が発表された。取材時には「故郷のチーム、マリンガに戻りたいけど、そう物事は単純には運ばないことも分かっている」と語っていたが、その願いは叶った。

パラナ州選手権1部は全国選手権1部のチームも所属するレベルの高い大会だ。日本代表としてW杯出場2回。代表出場試合数82は歴代6位だ。サッカー選手としてはいささか高齢だが、経験を活かして故郷でもう一花咲かせるだろうか。

【大耳小耳コラム】

三都主選手は取材時の7日時点では無所属だったが、引退はしておらず、個人でもくもくとトレーニングを続けていた。

日本で5チーム、1年はオーストラリアのザルツブルグにまで渡ってプレーした経歴に関して「一番思い出深いチームは」と質問すると、「とても一番は決められない」と答えた。最初は日本語中心のインタビューだったが、徐々にポルトガル語中心になった。やっぱり故郷に帰ると、言葉も自然にポルトガル語になる?

三都主選手によれば応援の様子も日伯では大きく異なる。

「日本はミスをしても、たとえ負けても寛大だけど、ブラジルのファンは酷い事を言う。どちらがいいとは一概に言えない。優しい反応にも決して甘えることはないし、酷い事を言われたら『見返そう』って良いプレーができることもある」とし、「言われた選手の受け止め方次第だ」と大人の回答し、選手としての”年輪”を感じさせた。

(写真・記事提供/ニッケイ新聞)
写真は自宅で両親とくつろぐ三都主アレサンドロ選手(中)