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路上生活から起業家へ。35歳ブラジル人女性のドラマチックな人生

路上生活 起業 ブラジル

ワールドカップ、オリンピック・パラリンピックの公共工事のみならず、社会の構造改革もなかなか進まないブラジルだが、この国で負のスパイラルに飲み込まれず前向きに生きるには、絶対的な強さが必要なのかもしれない。

ブラジルのグローボ系経済情報サイト「ペケーナス・エンプレーザス・イ・グランヂス・ネゴーシオス」が5月10日づけで、その強さを持ったひとりの女性の物語を紹介している。

明朗快活な女性、リリアン・アウトゥンタスさん(35歳)からは、常に微笑みがこぼれている。その笑顔からは起業家として成功するまでのとてつもない苦労をうかがい知ることはできない。

リリアンさんは現在イタリアで年間36万ユーロ(約4600万円)を稼ぐ起業家。ブラジル、ペルナンブーコ州ヘシーフィ(レシフェ)で生まれ、0歳時に母親とリオ・デ・ジャネイロ州ケイマードス市にやってきた。

1歳半になった時、ヘシーフィに戻り、父方の祖父母の家に預けられた。6歳の時、父方のおじに預けられるが、そこで11歳まで性的虐待を受け続けたという。

「ここにはいたくない、逃げよう、と思いました」(リリアンさん)

おじの家を飛び出しても行く当てはなく、数か月間ヘシーフィで路上生活をし、数年後、セアラー州フォルタレーザで売春婦として生活をすることとなった。

「その2年後、私はドイツのデュッセルドルフに売られました。裕福な客を持って贅沢な生活をしましたが、苦痛で薬物に依存する毎日でした」(リリアンさん)

17歳の時、あるボランティアの家族と出会い、彼らの助けを得て料理の世界に入ることになった。

「プロの味とは言えませんでしたが、ブラジルの惣菜、エンパーダとコシーニャを作りました。すべてのブラジル人は生まれながらにサンバとブラジル料理を身につけていると思っています」(リリアンさん)

イタリアに渡って結婚し、日々ひっそりとブラジルのお惣菜を作っていた。ある日、一人のブラジル人女性がリリアンさんを見出し、友人が集まる会食の席に料理を作ってほしいと依頼してきた。

「私のキャリアはすべてこの日から始まりました」(リリアンさん)

お惣菜を作ることはやめていないが、時が経つにつれてリリアンさんはブラジル定番のケーキとお菓子作りにより時間と労力をかけるようになった。

2013年6月、リリアンさんは一度自分の店を開いたが、費用が掛かりすぎたため再び自宅での製造販売に戻った。

「実のところ自宅でやる方が費用も掛からないし、それでまったく問題はなかったんです」(リリアンさん)

彼女は料理を作るだけでなく、現在ではイタリアの学校で講演会に出たり料理教室で教える仕事をしている。すべての活動を合わせて年間で36万レアルの売上を上げている。

将来のプランについて聞いたところ、ブラジルで起業したい、との回答が返ってきた。

ずっと長い間、ブラジルという国が自分にチャンスを与えてくれなかったことに怒りを感じていたが、昨年、30年ぶりに母とブラジルで再会し、生まれ故郷に愛着を感じ始めたという。

「ブラジルで講演をしたり、料理教室をやったり事業を始めたいです。国中で何かをやっていきたいですね」(リリアンさん)

(文/余田庸子、写真/Divulgação)
イタリアで起業したリリアン・アウトゥンタスさん

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