日本人移民の暮らしをアートの視点でとらえた大原治雄写真展、日本各地で巡回展示
2016年 06月 6日ひとりの日本人移民のアマチュア写真家が、ブラジル南部パラナ州のロンドリーナで撮影した写真が注目を集めている。
写真家の名は大原治雄。1927年に、当時17歳だった大原治雄は高知県から家族とともにブラジルへ入植。サンパウロを経て、当時開拓がはじまってまだ間もなかったパラナ州ロンドリーナへ、開拓者として入植。大西洋岸森林の密林を切り開き農地を開拓した。
1938年にカメラを入手して以来、農業と並行して、アマチュアとしての立場を貫きながら生涯、写真を撮とつづけ、1999年に生涯を閉じた。
他界する前年、1998年にロンドリーナ国際フェスティバルのプログラムとして開催された初の個展「オリャーレス(まなざし)」が大きな反響を呼ぶ。作品は同年に第二回クリチーバ国際写真ビエンナーレ、2000年にも第三回クリチーバ国際写真ビエンナーレで紹介された。
大原治雄の写真が注目を集めるのは、純粋にその芸術性や迫力、物語力によるものだ。どの写真にも、大原治雄という人が持つ圧倒的な美学が濃縮されていて、何時間でも眺めていたくなるほどの魅力を湛えている。
大地を切り開き耕し、土とともに生きた農家としての人生は、おそらく決して平坦なものではなかったはず。大原一家が入植した翌年の1934年にロンドリーナに入植した沼田信一という日本人が残している当時の記録にも「昼尚暗き密林」と表現されている。熱帯にある病気をはじめとする自然との闘いもあっただろう。また、第二次世界大戦後の1953年ころには、勝ち組系の団体、桜組挺身隊がこの地から生まれている。
しかし、そんな環境の中で大原治雄が捉えた情景には、一切といってよいほど、移民としての艱難辛苦の様子は描かれていない。そこにあるのは、自然とともに生きていく人々の生命を尊ぶ眼差し、雄弁に、かついかに美しくそれを語りかけるかという芸術的な意思だ。ハンパなく、スタイリッシュに、作品に結実したこの意思こそが、写真を見る者の目を捉えて離さない。
大原治雄がはじめて写真に興味を示したきかっけは、1934年に妻となる幸と結婚した際に写真館で撮影した1枚の写真に感動したからだという。大原治雄が生涯、写真に写したかったのは、どんな環境にあっても人が抱くことのできる喜びの記憶だったのかもしれない。
写真は独学で学んだ後、1951年にはサンパウロ屈指の写真家のクラブ「フォトシネクラブ・バンデイランチ」に入会。以降、国際的な写真展にも作品を出品している。
4月5日(火)に駐日ブラジル大使館で行われた、日本での写真展の開催記者会見でアンドレ・コヘーア・ド・ラーゴ駐日ブラジル大使も「ブラジルで日本人の手によって生まれた、この品質の高い表現を日本で
紹介できることを嬉しく思う」と語った。
「大原治雄の写真は、日本でもこれまで多くの方が語ってきた(ブラジルへの)”移民”にフォーカスしたものです。ただし、大原治雄ほど、芸術的かつ洗練された形で日本人移民の生活を表現した方はいないと思います」(アンドレ・コヘーア・ド・ラーゴ駐日ブラジル大使)
「大原治雄写真展 ブラジルの光、家族の風景」は高知県立美術館(高知市高須 353-2)で6月12日(日)まで開催。その後、6月18日(土)~7月18日(月・祝)に兵庫県の伊丹市立美術館、10月22 日(土)~12月4日(日)には山梨県の清里フォトアートミュージアムにて巡回展示が行われる。
その中の一部の作品を展示している東京での展示は、伊勢丹新宿店本館5Fアートギャラリーにて、入場無料。6月7日(火)まで。伊勢丹新宿店の営業時間は10時30分~20時までだが、最終日の展示は18時で終了。
「UM ABRAÇO! ブラジルウイーク ~フェイラ・コロリーダ~」は伊勢丹新宿店にて6月7日(火)まで開催。
(写真・文/麻生雅人)