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<Entrevista>
Dani & Debora Gurgel ダニ&デボラ・グルジェウ

ダニ&デボラ

注目のMPB女性シンガー・ソングライター、ダニ・グルジェウ(グルジェル)と、彼女の母親でもあるピアノ奏者デボラ・グルジェウ(グルジェル)。それぞれに作品を発表して活動しながらも、録音やステージでたびたび行動を共にしていた彼女たち母子が、二人の名を冠したクアルテートを結成してアルバムを発表。さらに、このクアルテートで8月末~9月に来日して、サラヴァ東京(渋谷)やカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ(鎌倉)、東京JAZZ(有楽町)などで演奏を披露した。

「母と私はこれまでにも一緒に演奏する機会は多かったし、2012年に合衆国で行ったツアーでも一緒でした。でもだったらなんで一緒にやらないんだろうと思って、ごく自然にクアルテートで演奏することになったんです」(ダニ)

仲が良いだけではなく、もちろん、互いに音楽家として認め合い、尊敬し合えなければグループで演奏することは難しいだろう。いったいふたりは、どんな親子なのだろう? ふたりにとってお互いがどんな子供・母親だったのか、尋ねてみた。

「母(デボラ)は、何事に関しても、私が自分から興味を持つことを尊重してくれましたし、私が興味を持ったことに関しては、さらに興味を持つように導いてくれました。

たとえば、なぜグラスの中の水は透明なの? なぜ空は青いの? と私が何か質問をするたびに、簡単に説明してしまうのではなく、本や辞典を見せてくれたり、実際に実験してみせてくれたりしてくれました。

だから何か疑問を抱いたら、なぜそうなのか、自分で理由を紐解く習慣が身につきました。これは母にとても感謝していることです。母は私に何かを押し付けようとしたことはありません。音楽も、3歳のときに私から学びたいと思い、母に申し出たんです」(ダニ)

「ダニはとても好奇心が強く、知的で、優しく、いつも家族愛に溢れた子でした。小さいときから自分で決めたことにはとことん向かっていく子で、人形の家を作ると言い出した時も、何日もかけてこつこつ作っていました。今でもCDを作るとなれば、こういうふうに作りたいと自分が思い描く方向にひたすら向かっていきますから、変わっていませんね(笑)」(デボラ)

ダニはいつも音楽と共にある環境で育った。

「父も母も音楽家でしたから、いつでも家の中には音楽が流れていました。よくは覚えてはいませんが、母は私に子守唄は歌わなかったと思います。むしろ、私が寝たあと音楽がかかったり母がピアノを弾くと、起きてしまうことがよくありました。よく母はチック・コリアの曲を弾いていました」(ダニ)

チック・コリアの大ファンだったデボラは、2012年のアメリカ・ツアーでチックのワークショップにも参加している。実は、デボラと夫、つまりダニの父を結び付けたのも、チック・コリアの音楽だったそうだ。

「チック・コリアとゲイリー・バートンが共演したアルバムです(おそらく「イン・コンサート)。私はそれが大好きでした。でも79年ころ、当時のブラジルは軍事政権下で、海外のレコードが簡単に輸入されませんでした。

 私とダニの父親はふたりとも同じ音楽学校で学んでいたのですが、そのレコードを彼に貸してあげたことがきっかけで、彼と親しくなったんです。だからチックに会ったときあなたが原因で結婚したんだと話したら、とても感激してくれました(私)」(デボラ)

音楽の道に進んだダニはジンボトリオが創設した音楽学校CLAM(クラン)でサックスを学び、当初はサックス奏者としてホベルト・シオンのグループなどで活動をしていたという。CLAMで音楽講師を務めていたこともあるデボラは、ダニにとって良き師でもあった。ダニの音楽仲間たちもまたダニの家に集い、デボラの下で音楽を学んでいたという。

「高校の同級生のVinicius Calderoni ヴィニシウス・カウデローニ、Tó Brandileoneト・ブランヂレオーニたちとバンドを組んでいて、彼らを家に呼んで練習するのが大好きでした。学ぶための集まりというよりは、もう、それが日常でした。現在、私は結婚して別の家に住んでいるのですが、母の家での練習は今も続いていて、皆で母の家に集まってやっています」(ダニ)

「私の家には大きな居間がありますが、そこにはソファがひとつ置いてあるだけなんでけす。ピアノやドラムがあるから(笑)。家で皆が集まって音楽を演奏しているのが何よりも楽しくて。それが高じて、結局ダニたちもプロの音楽家になっていったんです」(デボラ)

「だから私の家ではテレビもほとんど必要なかった。テレビは眠りたいとき眠くなるために少し見るくらい。とにかく皆で演奏しているのが楽しかったわ」(ダニ)

サラヴァ東京のステージでもクアルテットは、本当に楽しくて楽しくてたまらないといった感じで音楽を演奏していた。乗ってくればデボラがピアノのリズムで客席とコール・アンド・レスポンスを繰り広げる場面があったが、あれは、デボラがいつもダニや仲間たちとやっていることなのでは?  デボラの家の居間での毎日がそのままステージの上で再現されているのではなかろうかと思えるステージだった。

「ウン」というアルバムの中でも、ダニ&デボラ・グルジェウ・クアルテートが聞かせているのは、ありきたりのMPBでもなければ、実験的な(悪く言えば頭でっかちな)音楽でもない。やっぱり、デボラの家の居間での日々がそのまま収められているかのような音楽だ。

その雰囲気は、「ロック・ウィズ・ユー」などカヴァー曲への取り組み方にも表れている。「ロック・ウィズ・ユー」はマイケル・ジャクソンの79年作「オフ・ザ・ウォール」に収録されていた大ヒット曲だが、実はこのCDをクレジットも見ずに何の前情報もなく聴いたときには、これがあの「ロック・ウィズ・ユー」だとはまったく気が付かなかったほどだ。

「それが私たちの狙いです(笑)。世界中でよく知られた曲を、私たちが普段演奏しているようなスタイルや方法で、アレンジもハーモニーもまったく変えて、成立させることでした」(ダニ)

「アレンジにはいくつかのオプションがあって、最終的に一番いいと判断したのが、最初に浮かんだボサノヴァを土台にした、収録されているヴァージョンです。北東部のバイアォンをジャズ化して演奏してみたヴァージョンもあったんですよ」(デボラ)

ところで、今回のダニ&デボラ・グルジェウ・クアルテートは、デボラのソロ「デボラ・グルジェウ」で演奏しているピアノ・トリオ(デボラ、Sidiel Vieira シヂエウ・ヴィエイラ、Thiago “big”Rabello チアゴ・“ビッギ”・ハベーロ)に、ダニが加わった形となっている。大枠ではMPBといえる作品ではあるが、スキャットを前面に押し出したダニのヴォーカルも“楽器”として捉えられており、限りなくインストゥルメンタル音楽に近い作風となっている。

「私は、歌を歌い始めたのはずいぶん遅かったんです。それまではいろいろな楽器を演奏していました。子供の頃はピアノをやっていましたし、その後も縦笛フルート、サックスなど、自分にぴったりとかみ合う楽器に出会うまで、次々と楽器を変えていきました。そして最終的に、自分で一番気に入った楽器が、自分の“声”だったんです」(ダニ)

スキャットを駆使する技術には、サックスを学んだときの知識が大きく役立っているという。

「サックスの演奏を学んだとき、吹き方の練習するときに、声で吹きたい音を表わす訓練をすいぶんやりました。トゥトゥトゥ、トゥルル、トゥクトゥクトゥクトゥク。だからサックスを吹かなくなってからもサックスの音の出し方が私の口の中にずっと残っていたんです。スキャットを学んだとき、口の開け方やあごの動かし方で音を変えて表現する練習があるんですが、私にはまったく難しくない練習でした。これが歌手になってからとても役になったいます」(ダニ)

スキャットには表現者のリズム感も反映されるが、ブラジル人のスキャットにはブラジル音楽ならではのリズム感も表われる。

「だからブラジルのスキャットは、パンデイロなどパーカッションに似たようなリズムを繰り出しているでしょうね」(ダニ)

「ブラジルならではのスキャットの名手ではフィロー・マシャードが有名ね。また、スキャットに限らず、ブラジルではパーカッションのリズムが、あらゆる楽器に反映されているかもしれません。私がピアノを弾くときもパーカッションのことを考えて弾きます。タクチカ、タクチカ、タクチカ、タクチカと高い音、低い音に分けて弾きます」(デボラ)

自ら作詞も手掛けるダニにとって、彼女のリズムや音に対する自覚は、作詞の上での言葉選びに大きく影響を及ぼしているようだ。例えば、ダニは曲によってポルトガル語でも英語でも歌詞を書いているが、言語が異なるとリズムや音も、まったく異なるのだという。

「私は普段はポルトガル語を話しますが、アメリカ合衆国で音楽を学んでいた時は英語を話していました。だから会話においては、英語もまた私にとっては身近で、特別な言語というわけではありません。でもポルトガル語と英語は“音”が全く異なるので、音楽においては、大きな違いがあります」(ダニ)

その差はリズム面でも顕著だという。

「ポルトガル語と英語とでは言葉のシラヴァが異なります。英語に比べてポルトガル語は子音と母音をめりはりをつけて話すので音に強弱のリズムがあります。むしろ日本語の方が感覚は近いですね。英語は音が柔らかく丸い印象があります」(ダニ)

そのため、ポルトガル語で浮かんだ歌詞はポルトガル語で、英語で表現したい曲は英語で書くという。

「何度か、ポルトガル語の歌を英語に訳して歌おうとしたことがあるのですが、同じ言葉で訳しても、言葉の印象が柔らかく丸いので、音楽全体もまるく聴こえて、印象がまったく変わってしまうんです。『ウン』に入っている「ノット・トゥ・ビー・ハード」は、歌詞をつけようと思ってメロディを聞いたときにポルトガル語のイメージではなかったので、初めから英語で歌詞を書きました」(ダニ)

実は、この曲が英語で書かれたのには、もうひとつ理由がある。

「これは、かつてブラジルにあった軍事政権について歌った歌です。軍事政権に関しては、父と母はその時代を経験していていますが、私は学校で学んで知っているだけです。でも家に“聴くことを禁じる”と書かれたテープがあって、自分でも改めて考えてみるきっかけになったんです」(ダニ)

「私自身は政府に反抗する表現をしていたわけではありませんから、直接、表現上で弾圧を受けることはありませんでした。しかし、聴いてはいけないとされる曲があったり、自由ではありませんでした。そのテープは、ただ単にいい音楽でしかないのに、聴いていることがわかると逮捕されたかもしれない曲が入っていました」(デボラ)

「ブラジルの中だけでなく、広く世界中にもかつてこの国で起きていたことを知って欲しいので、この曲は英語で書いたんです」(ダニ)

これまで以上に英語で意思を表現することに自覚的な歌詞だったためか、ダニにとってこの曲は、新たな一歩を踏み出した曲となった。

「今までは英語で歌詞を書いたとき、自分のイメージが伝えられているかどうか、まだまだ心配でした。でも「ノット・トゥ・ビー・ハード」は、初めて、メロディの良さを生かしたまま、使いたい言葉をイメージする音で表現できた曲です。私にとっては画期的な曲になりました」(ダニ)

母デボラのトリオと組んだクアルテートによる活動は、演奏者~ヴォイス・パフォーマーとしても、ソングライターとしても、ダニ・グルジェウを次のステージに押し上げる役割を果たしているようだ。

(文/麻生雅人 Massato Asso、写真/Anita Kalikies、取材協力/Rambling RECORDS)

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