アサイーの故郷、ブラジル北部の町トメアスーに初の大学設立。同地出身の二世学長が主導
2014年 09月 27日【トメアスー発=田中詩穂記者】入植85周年を迎えるアマゾン日本移民発祥の地トメアスーで、初の大学分校建設が進んでいる。しかも、同地出身の二世学長の主導だ。
09年に北、北東、中西伯では初の日系学長としてアマゾニア連邦農牧大学(UFRA)に就任した沼沢末雄氏(62)は、「自分が育った場所にこれまでなかった高等教育機関を作りたい。それが恩返しだと思っている」と話している。
トメアスー市内にある坂口渡氏(トメアスー総合農業協同組合理事長)の土地を譲り受け、3240平米の敷地内に昨年3月から5学科(文学、情報システム、経営・会計学、生物、農業工学)のキャンパス、図書館を建設中で、来年初めに完成予定。来年中の開講に向け、今年11月には入学試験を行う。
外から学びに来る学生向けの寄宿舎は既に建設済み。ゼナルド・コウチーニョ現べレン市長が連邦議員時代に申請した議員修正予算で建てられた。この5コースのうち文学、情報システムの2学部は市内の小学校の校舎で既に講義が行われており、建物完成後に移管される。
沼沢学長の任期が終了する2017年までに、同州カパネマ市にも同様に5コースの分校を設け、10コースの増設を図る。現在学部と大学院を含め6500人の学生数をさらに増やす計画で、連邦政府のプロジェクト「国家教育計画」(Plano Nacional de Educacao)の一環だ。
従来からある農学系のコースの充実とともに他学部も設置し、総合大学への拡大を図る考えだ。「特に農業工学には日系人の学生もたくさん入るのでは」と期待する。
「田舎を出て都市で勉強するのはお金がかかり、親の犠牲が大きい。若者の地方離れも進む」。自らも14歳で生まれ故郷トメアスーを出てべレンで勉強した。大学では森林工学を学び74年に卒業後、パラナ州で修士、フランスで博士課程を修了した。
トメアスーから要請があったわけではなかったが、「たくさんの人が学問を断念した。自分が学長になったことで故郷の助けになりたい」と考え、計画を教育省に提出した。ジウマ政権以降では北部の大学としては唯一、分校設立が認められたという。
日本の研究機関との提携にも積極的だ。東京農大、鹿児島大、龍谷大(京都)とは既に交流が始まっており、2010年には、名井良三元べレン総領事の招待で初訪日を果たした。
非日系のカルメン夫人との間に1男1女をもうけた。本人は「10人兄弟(現在は7人)の中で最も日本語が苦手」というが、14歳でトメアスーを出るまでは日本語を話していた。
「日本語は漫画を読み、独学で覚えた」と懐かしそうに思い出す。「でも町に出たら話す機会がなくなり、全部忘れてしまった」と笑う。
両親は93、95年に相次いで亡くなった。「就任したことを知らずに亡くなったのは残念だった」と寂しそうな表情を浮かべた。
トメアスー時代、最も父の隣で働いたのは末雄氏だった。「父は”どんなときも希望を忘れるな”と言っていた。学長になれるなんて思っていなかったが、父の言うとおり希望を失わなかったからここまで来られた」と口元を引き締めた。
(写真・記事提供/ニッケイ新聞)