神学者が語るカーニバルの精神性や「行進」の意味

2026年 02月 15日

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2月14日、サンパウロ市ベラ・ヴィスタ地区。ブロッコ・ジェー・トレミ・モナムールの行進(写真/ Paulo Pinto/Agência Brasil)

「カルナヴァウ(カーニバル)は一つではありません。本来なら“カルナヴァイス(複数形)”と呼ぶべきです」。

パラナ州カトリック大学(PUC-PR)工科学院で、人間行動を専門とするアナ・ベアトリス・ジアス教授は、こう語る。

カーニバル期間にまつわる話題について、同氏がアジェンシア・ブラジルの取材に応じた。心理学者であり神学者でもあるジアス教授は、カーニバルの楽しみ方は多様であり、祭りが持ちうる意味の受け取り方もまた多様だと強調する。

「それこそがブラジル文化の美しさです。好きな人はサンボードロモ(カーニバルの行進会場)に行けばいいし、ロックのライブに行く人がいてもいい。北東部にはオリンダ市の巨大人形があり、パラー州には別の形のカーニバルがある。リオグランジドスウ州では“カヘアーダ”(牛の群れを移動させる儀礼的行事)があり、これは冬が始まる前、輸出期に入る直前の家畜の肥育の最終段階を示す行事です」(アナ・ベアトリス・ジアス教授)。

<「行進する」意味>

アナ・ベアトリス教授は、「desfilar(ジスフィラール=行進する、パレードする)」という行為は古代から続く儀礼だと強調する。人々が街を行進し、旗や標章を掲げることは、常に勝利や喜びを象徴してきた。敵の死、領土の獲得など、共同体にとっての祝福を示す行為だったという。

「特にカトリックの伝統では、人々が外に出て行列(プロセッサォン)を行う際、像や十字架、ろうそくを携えます。多くの古い町では、この伝統が今も残っており、音楽を伴うこともあります」(アナ・ベアトリス・ジアス教授)

教授によると、ブロッコ、マラカトゥ、コルダォンなどのカーニバル集団は、こうした宗教行列の形式を基礎にして、自らの振付や演出、パレードの形を築いてきた。

「様式は同じです。楽器隊がいて、担架やアレゴリア(装飾山車)を運ぶ人々がいて、各団体が特定の教区、地区、チーム、同業組合、あるいは聖人の旗印を掲げて行進するのです」(アナ・ベアトリス・ジアス教授)

やがて、そこには混じり合いが進み、聖なるもの・宗教的な意図が薄れ、踊る身体が象徴的な役割を担うようになる。そしてその身体表現は、自由を示す形として発展していった。

<カーニバルと精神性>

アナ・ベアトリス教授は、カーニバルが人々にとって、年の始まりをどう捉えるか、あるいは自身のスピリチュアリティをどう理解するかという指標になり得ると指摘する。ブラジルは政教分離国家であり、国内には多様な宗教的背景を持つ人々が存在する。

教授によると、特に若者にとってカーニバルは、感情を解き放ち、性的自由を楽しむ場としての意味合いが強い。一方でカトリック信者にとっては、精神性が前面に出る時期であり、カーニバルは「肉を食べる最後の機会」となる。

「彼らにとって、この時期は浄化、断食、善行、回心、他者の現実に目を向ける期間です。カーニバルは、翌日から始まる“イエスがカルバリオ(ゴルゴタの丘)へ向かうまでの受難を追体験する期間”に入る前に、あらゆるものを発散し尽くす時期とされるのです。これが四旬節の意味です」と語る。

<生命を祝う祭り>

アナ・ベアトリス教授は、カーニバルが力を持つのは、人々が集団として特定の伝統を守ったり、あるいは、肉を断つといった、何かを“断つ”行為を共有できるからだと指摘する。

「こうした感情の高まりは、社会的な結びつきを強め、地域やコミュニティへの帰属意識を新たにし、孤立感を和らげる効果があります」(アナ・ベアトリス・ジアス教授)

教授は、カーニバルや文化そのものの言語は、人が自分の身体とどう向き合うかを示す表現だと分析する。厳格な規範から逃れる形であれ、羽目を外しすぎないよう自分をいたわる形であれ、その関係性が表れるという。

「社会は、喜びを放出し、象徴的な秩序を再編するための儀礼を持ち続けています。一定の期間だけ現実から少し離れ、社会的な問題を整理し、緊張を解き、そして自分の一年を生きるための準備をするのです」(アナ・ベアトリス・ジアス教授)

「これはアイデンティティを表わす行為であり、文化的表現です。そして文化は、その社会の健康状態を雄弁に物語ります。身体の健康、精神の健康、人間の欲望や幻想に関わるあらゆるもの。どんな祭りであれ、民衆文化には多様な読み解き方が存在するのです」(アナ・ベアトリス・ジアス教授)

(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)