マラカナンの悲劇
2014年 02月 5日2014年ブラジルワールドカップまであと約4か月。ところで、ブラジルでワールドカップが開催されるのは今回で2度目となる。
初めてブラジルでワールドカップが開催されたのは1950年のこと。1930年にはじまったワールドカップは戦争を挟んで1938年以来開催されていなかったため、この大会が戦後初の大会で、第4回目のワールドカップとなった。
初優勝を決めたいホスト国ブラジルは、実際、順調な流れで決勝まで勝ち進んでいた。ブラジル2×0ユーゴスラビア、ブラジル7×1スウェーデン、ブラジル6×1スペイン。
そして迎えた決勝戦の相手は、第1回ワールドカップの優勝国ウルグアイ。しかしウルグアイは当時、絶好調とはいえず、ブラジルは、引き分けでも優勝できる有利な状況だった。
ブラジル国民の誰もが、母国の優勝を信じて疑わなかった。決勝戦前日には、試合前にも関わらず新聞はブラジル代表を”世界の王者”と紹介するほどであった。
運命の7月16日、決勝戦の舞台となったのは、この大会のために建設された、当時世界最大規模のマラカナン・スタジアム。ブラジルは先制点を奪い、 満員のマラカナンは祝祭ムードであった。
しかし、悲劇が起こった。ウルグアイが試合を逆転して、ブラジルの初ワールドカップ優勝の夢が崩れ落ちた。満員状態のスタジアムも静まり返った。
観衆は失望と挫折に打ちのめされ、自殺者やショック死をした者もいたといわれている。
この事件は「マラカナンの悲劇」(ブラジルではマラカナッソと呼ばれている)として語り継がれることとなった。悪運を呼ぶとされ、白かった代表のユニフォームもこの試合を最後に変更された。1954年から起用されたのが、”カナリア軍団”を象徴する黄色のユニフォームだ。
ブラジルがワールドカップで初優勝を飾ったのは、この悲劇から8年後の1958年スウェーデン大会であった。
写真は2013年に刊行された「Queimando As Traves de 50 – Glórias e Castigo de Barbosa」(ブルーノ・フレイタス著、 IVENTURA刊)。当時代表のゴールキーパーを務めたMoacyr Barbosa Nascimento モアシール・バルボーザ・ナシメントの伝記。マラカナンの悲劇に関してはドキュメンタリーから短編小説に至るまで何冊もの本が出版され、未だに「マラカナンの悲劇」とは何だったのかが検証され続けている。