第13回パラチー国際文学祭(フリッピ)でマリオ・ヂ・アンドラーヂに関する討論会、開催される

2015年 07月 4日

マリオ・ヂ・アンドラーヂ

7月1日(水)から始まった第13回パラチー国際文学祭(フリッピ)は、詩人、小説家、民俗学者、モデルニスモ文学評論家として知られるマリオ・ヂ・アンドラーヂにオマージュが捧げられている。

イベント初日、マリオ・ヂ・アンドラーヂの作品や人生の研究に携わる3名の作家による討論会が行われた。現地メディア「オ・グローボ」、「アジェンシア・ブラジル」などが伝えている。

パラチー国際文学祭(フリッピ)のイベント・キュレイター、パウロ・ヴェルネッキ氏によると、今回のフリッピはマリオ・ヂ・アンドラーヂへの愛に溢れた構成になっていて、この詩人に対して親密にリスペクトが捧げられているという。

討論会に出席したのはアルゼンチン出身のベアトリス・サルロ、サンパウロ出身のエリアーニ・ホベルチ・モライス、リオデジャネイロ出身のエドゥアルド・ジャルジン。

アルゼンチン出身のベアトリス・サルロは、1922年に興った「近代芸術週間」に関わった作家たちの比較を試みた。中でもマリオは際立って若い存在だったという。

ブラジルとアルゼンチンの両国におけるモデルニスモの比較では、同時代のアルゼンチンにも前衛表現があり、ホルヘ・ルイス・ボルヘスなどが活動したことを紹介した。

ベアトリス氏によると、当時はブラジルもアルゼンチンも同様に、まだ祖国という概念が確立されておらず、マリオ・ヂ・アンドラーヂの「マクナイーマ」(日本語訳版は「マクナイーマ つかみどころのない英雄」(松籟社))、リカルド・グイラルデスの「ドン・セグンド・ソンブラ」、1922年と1920年とほぼ同じ頃に生まれた2作品は、両国にとって国家のアイデンティティの確立に大きく貢献したと指摘した。

サンパウロ大学のエリアーニ・ホベルチ・モライス教授はマリオ・ヂ・アンドラーヂの作品におけるセクシャルな側面について述べ、近年開示された、マリオが友人であり詩人のマヌエウ・バンデイラにあてた書簡についても語った。この書簡でマリオは自身がホモセクシャルであることを示しているという。

作品に関した話では、「マクナイーマ」におけるソファラー、イリキといったキャラクターたちと繰り広げる“おいた”や、「愛しき自動詞」における“ドイツ移民の女性”、そして、ブンバ・メウ・ボイ、モジーニャ(18世紀末ごろからあったブラジルにおける初期のポピュラーミュージック)、狂騒曲、フェスタジュニーナ(6月祭)で行われる舞踏「クアドリーニャ」など、ブラジルの伝統芸能や大衆文化に散見できるとマリオが語っていたという“無秩序なポルノグラフィ”、それらの受け止められ方などを語った。

彼女は、現在これらのテーマは研究者が公然と話題にすることができるが、ブラジルでは長い間タブーとされていたことを強調した。

「長い間タブー視されていたことについて今日われわれは語るべきです。我らの偉大なる作家マリオ・ヂ・アンドラーヂはホモセクシャル、ゲイでした。同性愛の要素は彼のすべての作品に表われています」(エリアーニ・ホベルチ・モライス教授)

しかしエリアーニ教授は、だからといってマリオ・ヂ・アンドラーヂの作品を彼自身のセクシャリティにそのまま置き換えることはできないとも指摘した。

マリオ・ヂ・アンドラーヂの最初の伝記「エウ・ソウ・トレゼントス~マリオ・ヂ・アンドラーヂの作品と人生」の著者エドゥアルド・ジャルジンは、マリオが手掛けた文学のジャンルの多様性(ロマンスから詩作、戯曲、オペラまで)と、活動の幅広さ、とくに文化面での活動について述べた。

(文/麻生雅人、写真/Tânia Rêgo/Agência Brasil)
写真は7月1日、第13回パラチー国際文学祭(フリッピ)会場。左からベアトリス・サルロ、エリアーニ・ホベルチ・モライス、エドゥアルド・ジャルジンの各氏