ブラジルの美術館で115名が「裸アート」に挑戦

2017年 09月 26日

裸のアート ブラジル

マイコンさんの事件への抗議の意味を込めて「フォトーナ」で撮られた写真の一つに、裸の人々が寝転がって作ったマンダラの真ん中にマイコンさんが立っている、という構図のものがある。

一方、フォトーナ開始前に主催者は、再び当局の介入を起こさないために事前に許可を得て、撮影途中で邪魔が入らないよう綿密に準備を行った。

プロジェクト開始時、オオクボさんはこう語った。

「ここブラジリアでは保守的な立場をとる限りトラブルにはならない、という閉塞的な考え方が根強く、それにはずっとうんざりしています。マイコンさんの表現で問題になった点はたった一つ、彼が裸だったからです」(オオクボさん)

「これは私たちの生命にアートがあることを示すチャンスです」というオオクボさんの言葉から撮影は始まった。共和国美術館の講堂で参加者は服を脱いで、それぞれの持ち場に向かった。ほほえみと、おしゃべりとリラックスした雰囲気に満ちた中で撮影は進められた。

プロジェクト開始の際、参加者たちは講堂でマイコンさんのメッセージ映像を視聴した。映像でマイコンさんは、ヌードは社会的に長らく封印されてきた、と次のように語っている。

「私はなぜ人々が裸体をさらすことにそれほどに驚くのだろうか、と不思議に思っています。私たちは各々一つずつ肉体を持っていますが、それらに対して規制をかけようとする権力があります。警察、教会、親族、学校などです」(マイコンさん)

オオクボさんによると、アートの根源的な役割は、現在、何らかの組織や団体から奪われている権限を個々の肉体に戻すことであり、それによって、肉体が、現在課されている表現の地理的制約を取り払って各々の表現を行えるようにすることだという。

「現在の社会的権力は架空のものです。それらの権力ができる前から肉体は存在しています。肉体はそれぞれの人が持つ、唯一、実態のある力なのです」(オオクボさん)

写真家曰く、マイコンさんが7月に行った裸体パフォーマンスに対する警察や一部の人々の懸念に満ちた反応は、組織が持つ力に関する共同幻想を反映しているのだという。

「(このパフォーマンスでは)裸体は鏡としての役割を果たします。鏡としての裸体はエロティックな意味合いが薄くなります。なぜなら、このアートにおける裸体は、見る人が何かを投影するキャンバスのようなものだからです。一方、我々の社会ではヌードは卑猥なものとされます。それは、社会が肉体を性的な行為の対象としてのみ見ているからです」(オオクボさん)

プロジェクト「フォトーナ」を終えて、オオクボさんは参加者に感謝の言葉を述べた。

「昨日の夜はよく眠れませんでした。50人集まるかどうかが心配で。でも今日はその倍以上の皆さんに集まっていただいて感無量です」(オオクボさん)

このプロジェクトに参加した人の中には、先週起こったある事件がきっかけになったという人もいる。

8月29日、サンパウロ市内のバスの中でたまたま乗り合わせた女性に向かって射精をした男が逮捕された。男はすぐに釈放されたが、判事の示した釈放の理由が、男の行為は「強制わいせつでも暴力でもない」からだったという。9月2日、サンパウロ市内のパウリスタ大通りの車中で、同じ男が大勢の目の前で乗客の女性を襲う事件が起こった。

この事件を受けて、プロジェクトの参加者は、単なる裸体がわいせつ行為でたまたま居合わせた女性に対する射精がわいせつ行為ではないという司法の判断に疑問を持ったという。

また別の参加者は、裸になるだけで社会に対する反抗との解釈がなされるのはとても残念だと話す。マリアーナ・アウヴェスさん(24歳)にとっては「フォトーナ」プロジェクトは表現の権利に基づく自由な表現の一つだという。

バイーア州出身のルーカス・ヒベイロさん(19歳)は、プロジェクト開始の直前に参加を決めた。迷っていたのは自分の体に自信がなかったからだという。

「これはタブーを破る試みでした。性行為の象徴としてではなく、アートとして肉体を見せるのです」(ヒベイロさん)

プロジェクト「フォトーナ」は、8月22日から9月3日までブラジリアで開催されている国際シアターフェスティバルと連携して行われた。

フェスティバルはマイコンさんを再びブラジリアに呼び寄せ、7月に逮捕されたときのパフォーマンスを共和国広場で再現してくれるよう依頼した。マイコンさんのパフォーマンスは「DanのDNA(DNA de Dan)」として9月2日17時から行われ、フォトーナはその一部として披露されたという。

(文/原田 侑、写真/Kazuo Okubo/Divulgação)

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