映画「アイム・スティル・ヒア」で描かれた活動家エウニッシ・パイヴァの先住民族保護活動

2025年 06月 2日

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映画「アイム・スティル・ヒア」より、フェルナンダ・トーヘスが演じたエウニッシ・パイヴァ(写真/(C)2024 VIDEOFILMES / RT FEATURES / GLOBOPLAY / CONSPIRACAO / MACT PRODUCTIONS / ARTE FRANCE CINEMA)

軍事独裁政権への抗議活動に身を投じ、政権下で殺害された人々や行方不明になった人々を支援する活動家として、また、ブラジルの先住民族の権利のためにも闘った、弁護士エウニッシ・パイヴァ。

彼女は1980年代に、先住民の権利保護に専門的に取り組み、尽力した数少ない人物の一人だった。

ブラジル人権・公民権省(MDHC)は、エウニッシ・パイヴァの、マットグロッソ州にあるゾロー先住民族保護区(TIZ)の先住民を保護する活動は、同氏による人権擁護活動への大きな貢献のひとつと述べ、具体的な活動内容を紹介している。

ホンドニア連邦大学(Unir)国際文化学部の教授であり、ドウラードス(マットグロッソ・ド・スウ州)の国立先住民族保護財団(Funai)の技術顧問でもあるカルロス・トゥルビリアーノによると、ゾロー族との接触は1970年代後半から1980年代前半になってから始まったという。

教授によると、ゾロー族は大規模な先住民族の中で、先住民以外の人々との接触が最も遅かった民族の一つだったが、彼らはすでに侵略、紛争、土地をめぐる争い、それまで体験しなかった病気を経験し、多くの死者を出してきたという。

そして、弁護士であるエウニッシ・パイヴァは、ゾロー先住民族居住区の境界を定めるプロセスにおいて、重要な役割を果たしたという。

「彼女は法的な議論に参加し、人類学者ベティ・ミンドリンと共に、ゾロー先住民の土地の境界確定プロセスを擁護する人類学的観点から、明確な意見を交わしました」(カルロス・トゥルビリアーノ)

カルロス教授は、エウニッシ・パイヴァは、環境保護における先住民の重要性を擁護する先駆者だったと強調した。

「彼女は、先住民族の生存の可能性だけでなく、地域の生物群系の保護のために、このテリトリーが重要なものだという必要性を訴えました。彼女の議論は法律的なものでありながら、同時に社会的、環境的な側面も持ち合わせていたのです。その結果、エウニッシの介入は、ゾロー族の土地の境界確定の礎石となりました。彼女が行った議論、そして彼女が作った技術報告書こそが、後に、ゾロー族の境界線の設定を可能にしたからです。そしてもしこの境界線がなかったら、彼らは歴史の流れの中で絶滅していたでしょう」(カルロス・トゥルビリアーノ)

国立先住民族保護財団(Funai)の戦略管理部門ゼネラルコーディネーター、アルトゥール・ノーブリ・メンデスは、マラニョン州にあるクリカチ先住民族居住地の土地の境界確定においても、エウニッシの助言は不可欠だったと述べている。

この時期エウニッシ・パイヴァは、カラジャス鉄道建設に伴うヴァーリ・ド・ヒオ・ドーシ社との協定に関する問題で、フナイの顧問として招聘された。マラニョン州サン・ルイスとパラー州パラウアペバスを結ぶこの鉄道が、周辺の複数の先住民族の土地に影響を与えていたため、エウニッシは鉄道建設の影響を受けた地域の土地適正化手続きに携わるために雇われた。

FUNAIは先住民保護区の境界設定を望んでいたが、裁判所の判決によってその手続きは阻止されていた。エウニッシ・パイヴァが土地所有権の無効化に成功したため、不法占拠者たちが領土に留まる権利を守る法的根拠を失い、協会設定の手続きが再開された。

「私たち (FUNAI)がクリカチ先住民族居住区の境界を定めることができたのは、まずマリア・エウニッシが、その手続きの中で、それ以前の協定で(鉄道側に)“有効である”と提示されていたすべての土地の権利を無効にすることに成功しました。彼女は、それらの土地の権利が有効ではないことを証明して、それらを一つずつ無効にしていきましたそして彼女は裁判官に鑑定人を任命させ、その区域を再特定させました。裁判官自身もこの調査を承認し、区域の境界を定めるよう命じました。つまり、彼女の行動のおかげで、私たちはその後数十年を経て、このプロセスを実現させることができたのです」

「これは闘争でした。あれだけの苦労をした後でも、土地の境界を定めるまでに結局10年近くかかりました。もはや司法的な抵抗ではなく、物理的な抵抗があり、彼らは私たちの境界確定を阻止したからです」と回想した。

伝統的にクリカチ族が居住していたこの地域は、ルイス・イナーシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領の第一期任期中の2004年に、大統領令によって承認された。

パラー州シクリン・ド・ヒオ・カテテー先住民居住区の土地の合法化においても、エウニッシの活動は不可欠だった。

エウニッシがFUNAIの顧問として働いていた当時、カヤポ族が伝統的に居住していたテリトリー内に農場があり、裁判所の仮判決によって、その農地が維持されていた。そのため、先住民居住区境界を定める法令が公布されたにもかかわらず、FUNAIは境界を定めることができなかった。そのためエウニッシ・パイヴァは、同じく弁護士のカルロス・アマウリ・ダ・モッタと協力して、農場の所有権が存在しないことを証明した。裁判所はこの決定を受け入れ、FUNAIは境界設定を実現することができたという。

FUNAIは、エウニッシ・パイヴァと彼女が所属したグループによる先住民族の権利保護活動は、人間の尊厳の保護を基盤とする二つの観点から分析することがでると指摘している。エウニッシと、アイルトン・クレナッキ、マヌエラ・カルネイロ・ダ・クーニャ、ダウモ・ダラーリ、カルロス・マレス、カルメン・ジュンケイラらは、1980年代に先住民保護のための法的構造の精査に取り組んだ。

一つ目は、対話と先住民族の参加を通じた権利の実現に向けた闘い。

エウニッシは、コミュニティの現状を理解することを目的として、それぞれのコミュニティに赴き、本来認められている権利の実現を確実にするために尽力した。先住民族の領土の画定は、これらの人々の物理的・文化的存続にとって不可欠であると理解していたため、彼女はその画定を擁護した。

軍事独裁政権の終焉後も、誤った見解が依然として蔓延していたとFUNAIは指摘する。

その中には、先住民であることは“一時的”な状態であり、国家は、経済発展を目的に先住民を国民社会に統合する政策を採用すべきだという見解があったという。

この論理を覆すため、エウニッシ・パイヴァが参加したグループは、先住民族自身の参加を得て幅広い議論を推進し、1987年の制憲国民議会の議論に貢献し、先住民族の権利に関する憲法条項の構築にも貢献した。

1983年から1987年まで連邦下院議員を務め、1995年にはFunaiの代表を務めたマルシオ・サンティッリは、その当時、特に鉱山会社からの抵抗があったにもかかわらず、先住民族に関する条項を憲法に盛り込む作業が進められたことを振り返っている。

「エウニッシ・パイヴァは、当時の他の人々が受け入れていた、国家に依存するという歴史的伝統に抗い、先住民の自治を強化する必要性を強く認識していました。当時、頼りにできる弁護士は片手で数えられるほどでした。そして彼女は、まさにその一人だったのです。これは計り知れないほど貴重なことです。彼女は再民主化プロセスの当初から深く関わり、他の人々と同様に、後に起こるすべての出来事の先駆者でした」(マルシオ・サンティッり)

マルシオ元下院議員によると、新憲法制定以前は、保健や教育を含む先住民族に提供されるあらゆるサービスの責任はFUNAIだけに集中していたことを強調する。新憲法制定後は、連邦政府の各機関がそれぞれ具体的な責任を負うようになった。例えば、保健は保健省、教育は文部省の管轄となった。

ブラジル憲法において先住民族の権利が認められ、連邦構成主体間で責任が共有されたのは、先住民族の闘争に加わったエウニッシ・パイヴァと、先住民族の権利を擁護する憲法文の構築と強化に重要な役割を果たした他の関係者の活動の結果だとFUNAIは報告している。

「アイム・スティル・ヒア(原題「アインダ・エストウ・アキ」)」は8月8日より日本公開が決定している。

(文/麻生雅人)