2022年に病に伏したアイルト・モレイラが復活。フローラ・プリンと共に新アルバムを製作

2025年 09月 3日

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アルバムに先駆け、ヒカルド・バセラールとの共同名義でトニーニョ・オルタのカヴァー曲「アキ・オー」を発表したアイルト・モレイラ、フローラ・プリン(画像提供/ジャスミン・ミュージック)

2022年に、生命の危機にも瀕するほど重度の肺炎と多数の合併症を発症したアイルト・モレイラは、一命を取り留めた後も運動障害などに悩まされ介護生活を余儀なくされていた。以来、表舞台での活動のニュースが途絶えていたが、ようやく復活のニュースが届いた。

公私にわたるパートナーのフローラ・プリンと共に新しいアルバムを録音して、来年(2026年)に発表が予定されているという。アルバムのタイトルや名義など詳細はまだ発表されていないが、アルバムに先駆けて、トニーニョ・オルタのカヴァー曲「アキ・オー(Aqui, Oh!)」が8月29日に配信リリースされる。

40年以上アメリカ合衆国のジャズ界で活動してきたフローラ・プリンとアイルト・モレイラだが、2013年にブラジルに帰国。ふたりにとって、フローラ・プリン名義で発表された2022年作「イフ・ユー・ウィル」以来の新作となる。

ブラジルのリオデジャネイロ出身のフローラ・プリン(1942年生まれ)は、ボサノヴァをレパートリーにした作品で1965年にレコードデビューを果たしている。

若くして結婚していたフローラは、最初の夫との関係がぎくしゃくし出した後、ドラマーのドン・ウン・ホマォンとのロマンスがあったことを「オ・グローボ」紙のインタビューでほのめかしている。「彼は私を最初の結婚から救ってくれた。すぐに親友になって、少しずつ愛が芽生えていきました」。

ドン・ウンの紹介でマエストロ・シポーの楽団で歌うようになったフローラは、1967年、より広き活動の場を求めてアメリカ合衆国・ニューヨークへ渡った。

セーザル・カマルゴ・マリアーノ、ウンベルト・クライベールと共にサンバランサトリオ(1964-1965)、テオ・ジ・バホス、エラウド・ド・モンチ、エルメート・パスコアウと共にクアルテート・ノーヴォ(1966-1967)で活動していたドラマー、打楽器奏者のアイルト・モレイラがフローラと初めて出会ったのがいつ頃なのかはっきりしないが、フローラに想いを寄せていたアイルトは、彼女を追って渡米した。

「オ・グローボ」は、このときアイルトが渡航費を音楽仲間のシコ・ブアルキに頼ったというエピソードを伝えている。シコが気前よくアイルトに差し出した1000ドル紙幣は、アイルトが初めて目にしたドル紙幣だったという。

結婚してロスアンジェルスを拠点に活動したフローラとアイルトは、チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーのメンバーとして、またそれぞれ、器楽的なスキャットを得意とする歌手と、打楽器奏者として、ジャズやクロスオーヴァーの世界で確固たる地位を築き上げていった。アイルトはマイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」(1970)他、フローラはサンタナ、ディジー・ガレスピーなどの作品に参加している。

キャノンボール・アダレイ、セロニアス・モンク、ジョージ・デューク、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、デイヴ・ホランド、ジョン・マクラフリン、キース・ジャレット、ジョージ・ベンソン …彼らが共に演奏した音楽家の名は枚挙に暇がない。

フローラは1974年から1977年に、ジャズ専門誌『ダウンビート』で4年連続、最優秀女性歌手に選ばれている。1985年と1986年にはグラミー賞のジャズ・ヴォーカル・パフォーマンス部門でノミネートされた。

1992年には、フローラとアイルトが参加したふたつの作品がグラミー賞に輝いている。ミッキー・ハート(元グレイトフルデッド)の「プラネット・ドラム」は最優秀ワールドミュージック・アルバムを、ディジー・ガレスピー・アンド・ザ・ユナイテッド・ネイション・オーケストラの「ライヴ・アット・ザ・ロイヤル・フェスティヴァル・ホール」は最優秀ラージ・ジャズ・アンサンブル・パフォーマンスを受賞した。

ところが「オ・グローボ」によると、2000年代に入ってまもなく二人の関係にひびが入り、2013年、フローラ・プリンはブラジルへ帰国。パラナ州クリチーバ市を拠点に選ぶ。アイルトは世界各地を演奏して回りながらもたびたびフローラのもとを訪ねていたとのこと。しかしパンデミックを契機に、フローラとアイルトの関係は元のさやに収まったという。

帰国後、アイルトは2017年に「アルエー」、2021年に「エウ・カント・アッシン」を、フローラは2022年に「イフ・ユー・ウィル」を発表している。

「エウ・カント・アッシン」は、ドラマーとして名を馳せる前、パラナ州のクラブでクルーナー(歌手)としてキャリアをスタートさせていたアイルトが、原点に立ち返って歌を聴かせた意欲的な作品となった。

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「エウ・カント・アッシン」でヴォーカルに挑戦したアイルト・モレイラ、2021年(画像/Divulgação)

当初フローラにとって最後の録音にするつもりで再作されたという「イフ・ユー・ウィル」が第65回グラミー賞の最優秀ラテンジャズ・アルバムにノミネートされ、フローラは、レコーディングやステージへの復帰を考えるようになっていたという。

しかし、故郷ブラジルで新しいステージを目指して活動を活発化させようとしていたフローラとアイルトを悲劇が襲う。

「イフ・ユー・ウィル」発表直後にアイルトが重度の肺炎を患い、幾多もの合併症も発症して深刻な状態となってしまったのだ。治療費を賄えなくなったふたりはクラウドファンディングで支援を募った。

このニュースはブラジルでも各メディアが取り上げた。同年7月の「ガゼッタ・ジ・ポーヴォ」の記事によると、そのほかにも二人の旧知の仲であるアジムチのドラマー、イヴァン・“ママォン”・コンチは2回にわたりアイルトの支援コンサートを開催している。

アイルトは5月いっぱい命の危機に瀕し、なんとか一命は取り留めたものの、非常に強い細菌に感染してベッドでの生活を余儀なくされた。この時点では理学療法、注射、常時付き添う看護師が必要で移動も車椅子で困難を極めていたという。

「私たちは人生で得たお金の大半を友人たちに分け与えてきました。物をため込むことは信じていないのです。再創造、精神性、進化を信じていて、それには物質的なものを手放す必要があるのです」とフローラは語っている。

そして今年(2025年)5月、カルチャー雑誌「ピアウィー」が、ふたりがクリチーバで高齢者用住居への入居を検討したものの資金面で断念して、リオデジャネイロの俳優や音楽家、作家など高齢のアーティストのための福祉施設「ヘチーロ・ドス・アルチスタス(芸術家たちの隠れ家)」に移住したことを伝えた。

フランスの「ポン・オー・ダム芸術家養老院」をモデルに作られたという「ヘチーロ・ドス・アルチスタス」は、倉本聰のドラマ「やすらぎの郷」を想わせるような施設。15,000平方メートルに及ぶ敷地に、50軒の住居、食堂、劇場、映画館、図書館、プール、美容室をなどが備えられている。

「私はここブラジルで、そしてこのレチーロで死ぬつもりです。とても気に入っています。昼も夜も音楽を聴いています。お祭りもあるし、噂話もあるしね(笑)」(フローラ・プリン)

そしてこの記事は、フローラ・プリンのニュー・アルバムと、夫婦のドキュメンタリー映画に関するニュースも伝えていた。

フローラの新作の録音は2024年に行われ、現在ポストプロダクションの段階にあること。フローラとアイルトの人生を物語るドキュメンタリー映画を監督しているのはジョン・トビ・アズライで、彼はエリス・ヘジーナとアントニオ・カルロス・ジョビンの共演アルバムについて描いたドキュメンタリー映画「エリス&トン」の共同監督を務めた映像作家であることが、報じられていた。映画は2026年の公開を目指して制作されているという。

そして先月、フローラとアイルトの新録音曲としてトニーニョ・オルタの「アキ・オー」のカヴァー曲が発表された。同曲はマルチプレイヤー、シンガー・ソングライター」のヒカルド・バセラールとフローラ、アイルトの3人の名義による共演作品で、バセラールはプロデュースも手掛けている。

フローラ&アイルトとバセラールを結びつけたのはジョン・トビ・アズライ監督で、バセラールがこのドキュメンタリー映画の音楽監督と共同プロデューサーを務めた縁で、バセラールはアルバムのプロデュースを務め、さらに3人名義の「アキ・オー」を吹き込むこととなった。

「アキ・オー」は、1980年にトニーニョ・オルタが発表した曲で、故郷ミナス・ジェライスを歌った歌。作詞はフェルナンド・ブランチが手掛けている。録音はバセラールのホームスタジオであるジャスミン·ミュージック·スタジオ(セアラー州)で行われた。

「アキ・オー」のプレスリリースには「その後、フローラとの話し合いから、ジョンの映画と連動する形でフローラとアイルトのアルバムを作るというアイデアが生まれました」というバセラールのコメントが紹介されているが、「ガゼッタ・ジ・ポーヴォ」が報じていたフローラの新作アルバムというのがおそらく、この作品のことだと思われる。今回、シングル曲として発表される「アキ・オー」は、新アルバムにボーナス・トラックとして収録される予定だという。

(文/麻生雅人)