独裁政権の犠牲者の死亡証明書に、国家の責任を明記される
2025年 10月 9日
ブラジルの軍事独裁政権の犠牲者の遺族たちは、2025年10月8日(水)、国家が死に関与したことが明記されたた、改定された死亡証明書を受領した。
更新された文書には、以下の記述が含まれている。
「1964年に樹立された独裁体制によって政治的反体制派と認定された人々に対する体系的な迫害の文脈において、ブラジル国家によって引き起こされた不自然で暴力的な死であることが認められる」
これらの証明書の交付は、「ブラジルの軍事独裁政権(1964〜1985年)下で死亡または行方不明となった人々の改定死亡証明書第2回交付式典」において行われた。この式典は、人権・公民権省(MDHC)、および、政治的死者と失踪者に関する特別委員会(CEMDP)によって主催された。
改定された死亡証明書の対象者には、フーベンス・パイヴァ元連邦下院議員およびカルロス・マリゲッラ元連邦下院議員の名前が含まれている。証明書は約60家族に交付された。

人権・公民権省によると、合計109通の改定死亡証明書が交付可能な状態にあったが、すべての家族が式典に出席することはできなかった。
式典は、サンパウロ大学(USP)法学部の貴賓室で開催され、犠牲者および行方不明者の遺族であるヴェラ・パイヴァ氏、マルセロ・フーベンス・パイヴァ氏、マリア・マリゲッラ氏のほか、招待された当局関係者としてアドリアーノ・ジオゴ氏、エドゥアルド・スプリシー氏、ジョゼー・ジルセウ氏らが出席した。
人権・公民権省のマカエ・エヴァリスト大臣は、今回の措置を、ブラジルの民主制度における画期的な出来事として理解する必要があると強調し、すべてのブラジル国民がその恩恵を受けることになると述べた。

マカエ大臣は、ブラジル国家が「強制失踪」という犯罪を法的に規定できるようにするために、闘いを続けていると語った。
「私たちは、時効が成立しない犯罪が存在するということを認識しています。それは“終わらない犯罪”です。独裁政権下で政治的に失踪した人々に関しては、遺体が発見されていないため、この犯罪には時効がありません。多くの場合、その人が自宅から連れ去られたことは分かっていても、家族は今なお、実際に何が起きたのかについて真実にたどり着くことができないままです。私たちはこのような犯罪を『継続的犯罪』と呼んでいます。だからこそ、強制失踪という犯罪を規定する必要があるという議論に私は取り組んできました。なぜなら、それは、終わらない、からです」(マカエ・エヴァリスト大臣)
大臣は、死亡証明書が改定されたとしても、遺体が発見されていないため、多くの遺族にとって、事件はこれで終わったわけではないと言う。
「とはいえこの一連のプロセスは確実に、まだ明らかにされていない隠された事例に光を当てるだけでなく、何よりも、改定というこの瞬間が、ブラジル国家が民主主義を保証するための根本的な要素と向き合う重要な過程であると私は考えています」(マカエ・エヴァリスト大臣)
死亡・失踪者の改定死亡証明書の交付は、国家真実委員会(CNV)の勧告のひとつである。この取り組みはまた、軍事独裁政権下で死亡または失踪した犠牲者の記録を訂正することを定めた、国家司法評議会(CNJ)による2024年決議第601号に基づく行動の一環でもある。
「私たちが改定証明書を交付するということは、特に遺族による長年の闘いの成果であり、それは独裁政権期国家による暴力の事例に対してだけでなく、民主主義の時代に生き続けているその独裁的な時代の残滓に対しても意味を持つものです。たとえば、“アカリの虐殺”における政治的失踪者の事例などがそうです」(マカエ・エヴァリスト大臣)
<遺族たち>

式典の公式登壇者のひとりであるヴェラ・パイヴァ氏は、弟のマルセロ氏とともに、父であるフーベンス・パイヴァ元下院議員の改定死亡証明書を受け取った。
「私たちは問いかけます。(もし生きていたら)彼らは家族の生活にどう関わっていたでしょう? 子どもたちの成熟をどう見守ったでしょう? 孫たちとのふれあいの中で、どんな写真を撮ったでしょう? 人が家族や友人を失ったとき、愛する人の記憶を呼び起こすとき、感情的にはこうして思い出すものなのです」と語ったヴェラ氏は、母であるエウニッシ・パイヴァ氏もかつて所属していた政治的死者と失踪者に関する特別委員会(CEMDP)において、市民社会の代表を務めている。
「独裁政権によって殺された人々、特に遺体が家族や友人のもとに返されることのなかった人々のケースでは、正義と補償の必要性を訴え、私たちは何十年にもわたって、死の真相を探し続けてきました。こうした式典を行うということは、正義を取り戻す作業を少しずつ積み重ねていくことにほかなりません」と彼女は語った。

ヴェラ・パイヴァ氏は、記憶と真実が正義の追求を可能にし、これらの殺害の加害者を特定する手段となることを強調した。
「加害者たちは、加害者にも適用された政治的妥協による恩赦によって自らの犯罪を免れました。二度と繰り返さないために必要なのは、記憶、真実、正義、そして補償です。今この瞬間、ブラジルで何十人、何千人もの人々が関わるこの社会運動において、民主主義を破壊しようとする終わりなき試みに抵抗することが不可欠なのです」(ヴェラ・パイヴァ氏)
ヴェラ氏は、抵抗した人々の模範を新しい世代に伝えるための記憶の指標を確立することが必要だと語る。
「こうした社会運動が抱える何千人もの“エウニッシ”たちの模範──彼女たちは国家による暴力によって味わうことになった“喪失“を、動詞としての“闘い”へと変えていきます。そうして行動するのは、政治的失踪者の家族だけではありません。サンパウロのパライーゾポリスやオザスコの母たち、リオデジャネイロのアカリやマンギーニョスの母たちも同じです。記憶すること、それは抵抗することなのです」(ヴェラ・パイヴァ氏)
ブラジルの軍事独裁政権の犠牲者であるアレシャンドリ・ヴァヌッキ・レミの妹、ベアトリス・ヴァヌッキ・レミ氏も、改定死亡証明書を受け取るために式典に出席した。

「本当に胸がいっぱいになります。両親は、アレシャンドリの死の真相が明らかになるように、必死に闘ってきました。そして今、彼が殺されたこと、自然死ではなかったこと、軍事独裁政権下のブラジル国家の責任による死であったこと──彼は拷問の末に殺された──それが記された証明書を受け取ることは、大変重要なことです。これはアレシャンドリの記憶を呼び起こすだけでなく、他の犠牲者たち、434家族すべてにとって必要な一歩なのです」(ベアトリス・ヴァヌッキ・レミ氏)
アレシャンドリはサンパウロ大学(USP)の地質学科の学生で、1973年3月17日、国内防衛作戦司令部諜報局(DOI-CODI)の施設内で22歳の若さで命を奪われた。2014年には、死因が拷問による損傷であると記された最初の改定死亡証明書が家族に交付されていた。
今回の式典で交付された新たな証明書には、ブラジル国家が彼の死に責任を負うことが明記されている。ベアトリス氏は、家族がアレシャンドリの遺骨を受け取るまでに10年かかったこと、そして今なお、愛する人がどこに埋葬されているのか分からない家族が存在することを訴えた。
「私たちが今望んでいるのは、アレシャンドリの死、そして独裁政権下で命を奪われた多くの犠牲者たちの死に関与した者たちが、裁かれ、行為に対して罰を受けることです。たとえ彼らの多くがすでに亡くなっていたとしても、彼らの記憶の中に、彼らが責任を負った恐怖の記録が刻まれることを願っています」(ベアトリス・ヴァヌッキ・レミ氏)

<最初の交付>
この取り組みは、人権・公民権省(MDHC)、政治的死者と失踪者に関する特別委員会(CEMDP)、国家司法評議会(CNJ)、および、実在する個人の民事登録管理機関との連携によるものであり、ブラジルの軍事独裁政権期に発生した重大な人権侵害の犠牲者に関する記録の正確な改定を行い、記憶と真実を回復することを目的としている。これはCNJの2024年決議第601号に基づいて実施されている。
今年8月28日、人権・公民権省(MDHC)、政治的死者と失踪者に関する特別委員会(CEMDP)は、軍事独裁政権の犠牲者に対する改定死亡証明書の初回交付を、ミナスジェライス州議会(ALMG)で開催された式典にて行っている。合計63通の証明書が交付可能な状態にあり、式典ではそのうち21通が出席した遺族に手渡された。
(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)