軍事政権下に反政府活動に身を投じた日系活動家を題材にしたドキュメンタリー映画、制作へ
2015年 03月 8日「黄色い危険、日本移民史のB面」(リオ連邦大学、2011年、50分)というポルトガル語のドキュメンタリー映画を制作して話題を呼んだダヴィ・レアル監督(53、リオ市在住)。
同監督が今度は、軍政に抵抗した日系人活動家に焦点を当てた作品を作るべく活動を始めた。日本移民史に関わり始めた経緯を改めて取材してみた。
一作目(「「黄色い危険、日本移民史のB面」(」)は首都リオ(当時)において日本移民が戦中にどう扱われたかを、リオ連邦大学やサンパウロ州立総合大学(USP)教授らのコメントを織り交ぜながら描いたもの。
映画の中でアリタ・マサルさん(二世)は生々しく差別体験を語っている。彼の家族は戦前からペンソン「一楽」を経営し、同地コミュニティの中心的な存在だった。
「戦争中、大変つらい時代を過ごした。ブラジル国籍の我々二世も”敵”として扱われた。石を投げられ、屋根を壊された。食料品店に行っても売ってくれず、隣人に頼んで代わりに買ってもらった。理髪店では日系だからと子どもの髪すら切ることを拒否した」と証言した。
「正しい情報が伝えられず、国民一般は日本移民を裏切り者だと思い差別した。日系人と遊ぶなとブラジル人家庭では教育され、子ども同士で遊ぶこともできなかった」とも。「私だってブラジル人。こんな境遇を過ごすはずではなかった」と二世ならではのつらい心境を涙ながらに語っている。
ゼリア・デマルチニUSP教授も「ブラジル政府が日本移民百周年を盛大に祝うことに協力したのは、社会全体がその時代の誤まりを認め、謝罪する意識がどこかにあったのではないか」と作中で興味深い推測を述べている。
レアル監督は妻が日系人で、高校の歴史教師をする傍ら、リオ連邦大学で映像制作を教える。
「92年に『オ・グローボ』紙で日本移民が50年前に社会政治警察に逮捕されていた記事を見て驚いた。その後マルシア・タケウチ論文を読んで関心が高まり、戦中戦後の日本移民の差別について記録を残すべきだと考えた」と説明した。
「ヴァルガスは戦中、米国の資金支援と引き換えに日本移民迫害を強めた。戦後は白人であるドイツ系やイタリア系のことは忘れられたが、黄色人種の日本移民は特に暴力的に扱われた。その裏には明らかに新国家政策と人種差別の意識があり、日系人が多かったサンパウロ州はその傾向が顕著だった」と見ている。
同作品をリオ市民に見せると「皆この歴史を知らず驚いていた。特に若い人々は。ペトロポリスのユダヤ学校で上映会をした時、鑑賞後に座談会をしたら『日本人も我々と同じように迫害されたと分かった』との感想を発言する生徒も。この歴史はもっと知られるべき」と強調した。
次回作では軍政時代に反政府活動をした日系活動家に焦点を当て、「今年から撮影を開始する予定だ」と意気込み、「その後また戦争中の迫害問題に戻る」と笑った。
(写真・記事提供/ニッケイ新聞)
写真は「あの歴史は繰り返すべきではない」と語るレアル監督