“ブラジル語”は存在した!? 18世紀に消えたニェエンガトゥ語とは

2018年 05月 21日

ニェエンガトゥ チタンス

かつて、ブラジルに渡った日本人移民は、ポルトガル語のことを「ブラジル語」と呼んだそうですが、ご存知の通りブラジルの公用語は「ブラジル語」ではなく、「ポルトガル語」です。

ポルトガル語がブラジルの公用語になったのは、16世紀にポルトガル人がブラジルを「発見」し、ポルトガルが植民地にしたという歴史的背景は説明するまでもないでしょう。

ところで、あまり知られていませんが、ブラジル生まれの言語は実際に存在します。

それを「ブラジル語」と呼ぶのであれば、18世紀まで話されていた「ニェエンガトゥ語(nheengatu)」という言語が「ブラジル語」と呼ばれるのに相応しい歴史を有しているのかもしれません。

ニェエンガトゥ語は、先住民の話していたトゥピ・グアラニー語を母体としています。

植民地時代のブラジルで広く話されていた言語で、16世紀にブラジルにやってきたイエズス会士の宣教師(サンパウロ市の創設者であるアンシエッタ神父が有名)によって生み出されたとされています。イエズス会では、ポルトガル人と先住民が意思の疎通を図るために、ポルトガル語と先住民の言語(トゥピ・グアラニー語)を混ぜた言語を作ったのです。

ニェエンガトゥ語では、先住民が発音を苦手とする単語を、彼らの発音しやすい語彙に変更しました。例えば、女性を意味するMulher(ムリェー)は、muié(ムイエー)といった具合に変化しました。

トゥピ族の文化を専門とする言語学者、辞書編纂者でもあるサンパウロ大学のエドゥアルド・ヂ・アウメイダ・ナヴァッホ教授による「ジェネラルランゲージコース(ニェエンガトゥ語) ~アマゾン地方の文化を起源とする言語」からニェエンガトゥ語とポルトガル語の文章を引用してみますので、比較してみてください。

Pedro uiku paranã upé. Aé upitá iepé igara min upé Maria irümu. (ニェエンガトゥ語)

Pedro está no rio. Ele fica em uma canoa pequena com Maria.(ポルトガル語)

意味は、ペドロは川に居る。彼はマリアと小さなカヌーに乗っている、となります。

Youtubeで実際のニェエンガトゥ語を聞くこともできます。確かに、発音も簡単そうで、頑張ったらなんとか覚えられそうです。

 

 

ニェエンガトゥ語は、イエズス会士によって生み出された後、18世紀まで先住民、宣教師、ヨーロッパからの移民によって広く利用されていましたが、ポルトガル国王で「改革王」の別名を持つジョゼ1世の統治下において、その使用が禁止されてしまいました。

ニェエンガトゥ語の使用禁止を推進したのは、リスボン大震災の適切な対処により、ジョゼー1世の大きな信頼を得て首相に就任したポンバル侯爵でした。ポンバル侯爵は、学校でのニェエンガトゥ語教育を禁止しました。

ポンバル侯爵は、ポルトガル領からイエズス会士を締め出したことでも有名ですが、この時に、イエズス会の広めたニェエンガトゥ語も禁止し、ポルトガル語教育を進めたのです。

禁止によりニェエンガトゥ語の話者は激減しましたが、完全に消滅したわけではなく、一部の人々(特に内陸部の人々)によって未だに利用されています。

話者が最も多く住むのが、コロンビアとベネズエラの国境近くにある町、アマゾナス州のサン・ガブリエウ・ダ・カショエイラ(São Gabriel da Cachoeira)という町です。この町では、2002年から、ニェエンガトゥ語を公式言語のひとつに加える法律を制定し、ニェエンガトゥ語の勉強ができる学校もあります。

ところで、トゥピ族の言語に由来する言葉は、ニェエンガトゥ語でなくとも、現在ブラジルで普通に話されている会話の中にも取り込まれています。

たとえば「chega dessa republica do nhem nhem nhem」–これはFHCという略称でおなじみのカルドーゾ元大統領の言葉です。

「nhem nhem nhem」または「Nhenhenhém」は、トゥピ・グアラニー語のNhe(話す)という動詞から来ており、意味としては「(意味もないことを)喋りすぎる」という意味で、現代においても新聞の政治欄などでしばしば使用されます。

FHCの言葉、chega dessa republica do nhem nhem nhemは「(ブラジルに)喋るだけの行為(政治)はもう沢山だ」といった意味になります。他にも、Vamos deixar de nhém-nhém-nhém!(ニェニェニェン(無意味な議論)はもうやめよう)といった使い方があります。

ブラジル人の中には、無駄話が長い人も多いので、長話に嫌気がさしたら、Chega de nhém-nhém-nhém!と叫んでみてはいかがでしょうか!?

(文/唐木真吾、写真/Reprodução)
写真は2014年にブラジルを代表するロックバンド、チタンスが発表した、「ニェエンガトゥ語(nheengatu)」というタイトルのアルバム

著者紹介

唐木真吾 Shingo Karaki

唐木真吾 Shingo Karaki
1982年長野県生まれ。東京在住。2005年に早稲田大学商学部を卒業後、監査法人に就職。2012年に食品会社に転職し、ブラジルに5年8カ月間駐在。2018年2月に日本へ帰国。ブログ「ブラジル余話(http://tabatashingo.com/top/)」では、日本人の少ないブラジル北東部のさらに内陸部(ペルナンブーコ州ペトロリーナ)から見たブラジルを紹介している。
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