巨漢の名物サッカー応援男ボーラ・セッチ

2014年 03月 8日

bolasette

1994年からブラジルのスポーツ応援団長として活躍しているカリオカのRoberto Sant’ana ホベルト(ロベルト)・サンタナ(一部、日本でロベルタ・サンタナと記されたこともある)。あだ名の“Bola Sete ボーラ・セッチ”でも知られている。

2011年12月12日づけ「テーハ」(電子版)などが彼のことを紹介している。体重220 kg、身長1,84mというホベルトはリオデジャネイロのジャカレパグア在住。パイ・サンタナと呼ばれていた父親は2011年に他界したが、マッサージセラピストで、ヴァスコ、フルミネンシ、ボタフォーゴ、バイーア、そしてセレソン・ブラジレイラでも仕事をしていたという。サッカーへの愛情など、父親からの影響は計り知れないという。

ボーラ・セッチというあだ名の由来は、俳優として彼が出演したテレビノヴェラの役名からきている。1990年に俳優として出演したノヴェラ「ミコ・プレット」(TVグローボ)で演じたキャラクターの名前が、そのまま通称名となったという。

記事が出た2011年12月に45歳と紹介されているので、2014年12月には48歳になるはずだ。

彼がこのふたつの職業を捨てることになったのはひょんなきっかけだったという。1994年のワールドカップでセレソン・ブラジレイラを応援するためアメリカ合衆国に行ったときのこと。ブラジル応援団を大いに盛り上げた彼は、それが仕事となってしまった。

「ビール会社のブラーマが合衆国で僕に目をつけて、試合の盛り上げ役をやらないかと言って来たんだ。それから僕は広くしられるようになって、ブラジルに帰ってからいろいろなキャンペーンに関わったんだ」(ホベルト)

サッカーに限らず、ビーチバレー、フットバレー、ハンドボールなど、さまざまなスポーツイベントに呼ばれて応援を行って来た。アクロバチックなサッカーの技が楽しめるショウ・サッカー、Showbol(ショウボウ)では、世界大会が始まった2006年から応援し続けてきた。大きなイベントでは4回のワールドカップ、3回のオリンピックにかけつけている。

「ポルトガルでも何年も活動したよ。中でも一番僕の記憶に残っているのは、(ポルトガルのチーム)ベンフィカがエスタジオ・ダ・ルースを案内してくれたことさ。その後、僕はチームのシンボルになってしまった」(ホベルト)

しかし、やっぱり心を掴まれたのは、1994年と2002年のワールドカップでのセレソン・ブラジレイラの活躍だという。2014年のワールドカップ・ブラジル大会でも、応援席にはボーラ・セッチことホベルトの姿があるはずだ。

(文/麻生雅人、写真/Divulgação/Ricardo Cassiano)
写真は2012年、ショウボウでのボーラ・セッチ(右)。この年のショウボウでは11名のチアリーダーと共に応援した