ブラジルには『ジャスピオン』と名付けられた人が53人存在。ブラジル版映画化企画も進行。撮影開始は2027年か
2026年 07月 5日
アクション俳優として名を馳せた黒崎輝(くろさき ひかる)氏の死去のニュースは、ブラジルでも7月2日(木)付の各メディアが報じている。
黒崎氏が主演した特撮番組「巨獣特捜ジャスピオン」(1985-86、以下「ジャスピオン」)は、「O Fantástico Jaspion」のタイトルで80年代末~90年代にかけてブラジルでも放送され、ブラジルで絶大な人気を誇った。
ブラジルのメディアは、黒崎輝氏を “永遠のジャスピオン” と位置づけ、ブラジルの特撮文化における象徴的な存在として追悼の意を示した。
ブラジルではそれ以前にも「ナショナルキッド」、「スペクトルマン」など日本の特撮番組が放送されていたが、1988年2月22日にマンシェッチ局の子ども向け番組「クルビ・ダ・クリアンサ」の枠内で放送がスタートした「ジャスピオン」は、同局史上最高視聴率を記録するなど、国民的人気を誇った。以降、94~96年にヘコール局、97年にはCNTガゼッタ局などで再放送された。
「ジャスピオン」をきっかけに「チェンジマン」、「ジライヤ」などが支持され、ブラジルにおける特撮ブームが花開いていった。ブラジルでは特撮は、そのまま外来語としてtokusatsuとして受け入れられている。
また、ポルトガル語の吹き替えによるブラジル版「ジャスピオン」ではキャラクターの名称やセリフの一部が、現地になじみやすいようにローカライズされている。各メディアの追悼記事で共通して引用された「Pela luz de Daileon!(ダイレオンの光にかけて!)」という決め台詞もそのひとつで、オリジナルの日本版にはない。しかしブラジル版でジャスピオンが窮地に陥った際や、正義の決意を表明する際に叫んだこの台詞は、子どもたちの間で流行語となり、作品を象徴する代名詞ともなった。
さらにブラジルの各メディアは、黒崎氏が90年代末に芸能界を離れ沖縄本部町でダイビングショップの運営などを行っていたことや、沖縄で死去したこと、Masaki Sekiguchi氏による、「黒崎様が本部に来られて30年余り、当時本部にはダイビング業者は、6店舗程で苦楽を共にしてきた仲間でした。口に出さなくても、お互いの存在がお互いを支えあっている間柄でしたので、とても残念です」と記されたFacebookでの訃報の内容を伝えている。
ブラジル最大級の映画情報サイト「Adoro Cinema(アドーロ・シネマ)」は、全46話の放送を通して「ジャスピオン」は、ブラジル人の記憶に「永遠のヒーロー」として刻まれたと報じた。また、黒崎氏の死を「ブラジルの特撮文化を形作ったヒーローの喪失」と位置づけ、ジャスピオンが1980年代のブラジルの子どもたちに与えた影響を強調した。
「Veja(ヴェージャ)」は、ブラジルにおける「ジャスピオン」の放送史を紹介したうえで、同番組が「チェンジマン」と並んでブラジルにおける特撮文化を広めた源流として、特撮の技術や撮影の裏話なども紹介した。
「Terra(テーハ)」は、「特撮の世界が喪に服している」と述べ、黒崎氏の死は「大きな損失だ」と報じた。
「BAND.(バンジ)」は、「ジャスピオン」は日本での人気や知名度が中堅クラスだった一方、ブラジルでは1988年の放送をかわきりに現象となったという点を強調した。
「G1」は、黒崎氏の死を伝えると同時に、ブラジルには「ジャスピオン」という名前を持つ人が53人存在するというブラジル地理統計院(IBGE)の統計を紹介した。
同紙によると、2022年(最新の国勢調査の年)時点で、「ジャスピオン」と名付けられた人々の平均年齢は32歳だった。また53人のうち、1980年から1999年の間に47人が「ジャスピオン」と名付けられていることを指摘して、ジャスピオンが1980〜90年代にブラジル人の人生にまでどれほど影響を与えたかを伝えた。
「CNNブラジル」は、訃報を伝えるとともに、現在ブラジルで、同国版ジャスピオン映画の制作が進行していることを伝えた。
CNNブラジルによると、脚本を手掛けているのは、ディズニーやアマゾンで作品を手掛けた経験のある脚本家ジャナイーナ・トキタカで、「ジャスピオン」に並々ならぬ情熱を抱いている作家だという。
現在、制作会社Sato Companyが東映及び原作の権利者と協議しながら、脚本の洗練・調整を行っているとのこと。撮影開始は2027年が見込まれているという。
(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)




