バイーアから世界へ。苦境をチャンスに変えた情熱的なデザイナー兼教育者レナ・サンタナ。今、真剣に考えるブラジルファッションの未来とは?

2013年 11月 4日

エシカルファッション レナサンタナ

—-あなたはコレクションやプロジェクトの中で、ブラジルの庶民的かつ伝統的な布、Chita(シータ)を良く使いますが、その当時、ブラジルでは使われていましたか。

いいえ。シータは常に一番安価な布で、「貧しさ」を象徴するものでしたから、中・上流階級の人は使いたがりませんでした。ビーチサンダルと同じですね。今でこそ人気がありますが、当時は貧乏人が使うものというイメージでしたから。シータが使われ始めたのもここ5年~10年くらいのことだと思います。私は常に布が好きでした。特に自然素材の綿、絹などが好きです。シータが好きなのも綿100%だからです。

—-話は戻りますが、ファッションのキャリアはその後どのようだったのでしょう。

リオデジャネイロで私はスタイリストとして働いていました。そんな時に、イギリスのスタイリスト、ロジャー・バートが来伯し、アシスタントとして仕事をする機会を得たのです。そこから運命が大きく開けたといってもいいかもしれません。

当時26歳だった私は、彼にイギリスに来て働かないかと言われ、持っていた車を売り、イギリスに飛んだ訳です。当初、私は英語もまともに話せなかったので、非常に苦労しました。そこで、ファッション・テキスタイルという技術コースで、英語を学びつつファッションの基礎も学び、その半年後に彼のアシスタントとして働き始めました。

最終的に3年間彼と働きました。その後さらにファッションを学ぶため、UCA(University for the Creative Arts:http://www.ucreative.ac.uk/)でファッション・テキスタイルを学ぶ事を決めました。

エシカルファッション レナサンタナ

—-現在、あなたはブラジルでファッションコースの教師としても働いていますが、イギリスとブラジルのファッション教育の違いはどのようなものですか。

イギリスでは、生徒であれ教師にしろ、実践的なテクニックを知らなければいけません。ブラジルではまだ、そのような実践力を求められる事が少ないと思います。デザイナーはデザインだけ知っていれば良いとされ、縫製の知識や経験が足りないと思います。

—-そのようなブラジルの状況をどのように変えて行けると思いますか。

そうですね。理論よりも実践に重きを置いてほしいですね。例えば、ヨーロッパでは1回生の時からポートフォリオを作らされます。そのポートフォリオがあなたの成果となる訳です。ブラジルでもそのような実践力、結果を目に見える形で義務づけていくべきだと思います。

—-ヨーロッパとブラジルのファッションの違いをどう思いますか。

まだブラジルには各アトリエのクリエイティビティが足りないと思います。現在「ブラジルファッション」とは何かを模索している最中なんだと思います。依然としてヨーロッパのコピーを続けています。

また、ブラジルで理解に苦しむのは、アトリエはデザインを縫製工場に送るだけで、自分たちで作ろうという感覚がありません。なので、常に工場とアトリエの往復ということになりがちです。

ヨーロッパではハンディ・クラフトの物が多く、また個人経営のアトリエが多く存在します。ただ一方で、ブラジルは現在世界中から注目されているので、それを利用しなければいけませんね。そういった状況でイマイチ個性を発揮しきれていないブラジルファッションの現状を少し残念に思います。

—-依然、あなたが講師として参加されていたEco Fashion Paratyでの講演で「ブラジルのファッションは美しくない!」と言っていましたが、どうしてでしょうか。

著者紹介

平本明日美 Asumi Hiramoto

平本明日美 Asumi Hiramoto
リオデジャネイロ市在住ファッションデザイナー、プランナー。大学卒業後、サンパウロ市に1年滞在し、ブラジル文化の豊かさ、デザインのポテンシャルの高さに魅了される。帰国後、広告営業、企画の仕事に携わった他、2008年外務省日伯交流年事務局にて交流年のPR、広報に関わる。

2010年再度ブラジルに渡り、リオデジャネイロにて、幼い頃からの夢であったファッションの道を志すことに。ファッション技術コースを修了し、2012年、サステイナブル・ファッションブランドにてインターンを行う。現在、パターンの技術コースに通いながら、「教育とファッション」をテーマに同市で活動中。「A Boa Vida」(伊勢丹三越ホールディングス)、「A Boa Vida 2015」(伊勢丹三越ホールディングス ※サイトのみ)にも寄稿。
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