バイーアから世界へ。苦境をチャンスに変えた情熱的なデザイナー兼教育者レナ・サンタナ。今、真剣に考えるブラジルファッションの未来とは?
2013年 11月 4日—-依然、あなたが講師として参加されていたEco Fashion Paratyでの講演で「ブラジルのファッションは美しくない!」と言っていましたが、どうしてでしょうか。
(笑)。そうですね。まずデザイナーのテキスタイルや縫製、裁断の知識のなさ。それによって、色んな物をミックスする感覚が少なかったり、そういった無知識が服に現れてしまっているのです。
—-では逆に、どのような点にブラジルファッションの可能性を感じますか。また、どうしてブラジルに帰国されたのでしょう。
第一には、私のイギリス人の夫がブラジルに住みたいと言い始めたので(笑)。それをきっかけに、これまでやってきたことと違った視点で何か新しいことを始めてみたいと思いました。
ブラジルのポテンシャルについてですが、ハンドクラフトの技術により光をあてることだと思います。そのようにして仕上げの質を上げて行く事はできると思います。また、カーニバル、カンドンブレなどの豊なブラジルの文化をより全面に出していくべきだと思います。
ブラジルのファッションはまだまだ始まったばかりです。私もその変化の瞬間に立ち会ってみたいと思いました。また、南部、北東部には面白いクリエイションが起きていますが、逆に大都市のサンパウロやリオデジャネイロのファッションは古さや同じパターンの繰り返しを感じてしまいます。大きな変化が必要でしょう。
—-イギリスで立ち上げられたあなたのブランド、Lena Santanaについて教えてください。
実はブランドはブラジルで立ち上げたんです。ロンドンで大学を卒業した後、もう1年滞在し、就職活動をしていましたが、ブラジルに帰国して自身のブランドを立ち上げようと決意し、2004年に帰国しました。ブラジルでどのように受け入れられるか知りたかったのです。
Novos Talentos(現在はModa Hypeと呼ばれ、リオコレクションの初日におこなわれる新人デザイナーコンテストのこよ)に参加し、2回コレクションを行いました。コンセプトは「サステイナブル・ファッション」でした。
初めて行ったランウェイショーもすべて古布や端切れを再利用したものでした。特に40年代、50年代の布など、時代に取り残されて来た布達に再び命を吹き込む、そんな作業でした。ブラジルでも名前も知られるようになり、黒人系初のデザイナーという称号もいただき、貴重な経験もできましたが、何か物足りなさを感じ、その後ロンドンに再び戻りました。
その後ロンドンでプロジェクトを始めました。家の中で眠っている布を寄付してもらう代わりに、私の作品を差し上げるというものです。
例えば箱いっぱいの布を寄付してくれる人もいました。また、週末にはCar Boot Sale(日本語でいうところのフリーマーケット)にも参加して、古布を探し求めて歩きました。また、海外も含め、アジアやアフリカなどで面白い布をみつけては買っていました。個人的に布に非常に興味があるんですよね。
私の初めてのコレクションは「Flowery Collection」です。イギリスの有名な老舗百貨店リバティ社の花柄プリント生地にインスパイアされました。また、ブラジルでの初コレクションのテーマは”Let’s Break It”で、アメリカ人の現代アーティストDavid Yuriにインスパイアされました。彼はガラスで服を作り上げたのですが、その色やフォーマットに影響を受け、モザイク的な模様や、レイヤーを古布で表現しました。
—-イギリスでの拠点はどこにおいていましたか。