意外と知らないブラジルの都市名の由来「マナウス」
2016年 05月 2日アマゾン河の流れるアマゾナス州はブラジル最大の州です。その州都であるマナウスの名前は、もともとこの地に住んでいた部族マナオス(Manaós)の名前に由来しています。
マナオスという名前は、彼らの言葉で「神の母(Mãe de Deus)」という意味があります。
マナウス建設の経緯を振り返ってみましょう。
1542年にスペイン人のフランシスコ・デ・オレリャーナがネグロ川を下ってアマゾン河を発見してからおよそ100年後の1639年、ポルトガル人のペドロ・テイシェイラ(Pedro Teixeira)がアマゾン河をポルトガルの統治下に収めます。
マナウスは、ポルトガル人がアマゾン一帯の領有を主張するために建設された拠点でした。テイシェイラがアマゾンを支配した30年後の1669年に、ネグロ川の聖ヨセフ要塞(Forte de São José da Barra do Rio Negro)が建設され、アマゾンの植民地化が進められました。この要塞を中心として、現在のマナウスの町が形成されていきました。
ブラジルに来たポルトガル人は、土着民に移住を強制し、カトリックの宣教を容易にし、また、土着民を労働力として使役します。突然やってきた白人から、別の場所への移住を命じられ、かつ、カトリックへの改宗を迫られ、さらに労働力としてかり出されたインディオは、それを喜ぶ訳がありません。土着民は当然反抗しましたが、ポルトガル人はこれを武力によって抑えつけました。
マナウスの町の語源ともなっている部族、マナオスのリーダーであったアジュリカーバ(Ajuricaba)は、ポルトガル人の支配に不満を持つ周囲の部族と連合組織を組み、ポルトガルの支配地を襲いました。アジュリカーバ率いる反乱軍とポルトガルとの対立は1723年から1727年まで続きました。
その後、ポルトガル側の弾圧により、アジュリカーバは捕えられ、反乱は鎮圧されました。アジュリカーバの他に2,000名の土着民が捕えられ、奴隷としてベレンに移送されました。
アジュリカーバが手枷をされて、小舟で移送されている時のこと、アジュリカーバは川の中に身を投げます。彼は、奴隷として生きるよりも死ぬことを選んだのです。このように、マナウスという町の名前からは、自分の土地を守るために戦った勇士の歴史を感じ取ることができます。
(文/唐木真吾、写真/Gabriel Smith/Flickr)