ブラジル社会論の古典「ブラジルのルーツ」、80周年仕様で復刊

2017年 04月 21日

セルジオ・ブアルキ・ジ・オランダ

進んだヨーロッパを仰ぎ見ては、自国が有色人種混淆の後進社会である、と劣等感を抱きタメ息ばかりついていたブラジルのインテリ層がブラジル的価値に目覚め、ポジティブに評価するようになるのは1930年代以降である。

1922年にサンパウロで産声をあげたモデルニズモ(近代主義)運動が発火点となったが、ブラジル社会論としては、米国で文化相対主義的視点を学び取ったジルベルト・フレイレ(1900~1987)の「大邸宅と奴隷小屋」(初版 1933年)、ドイツのウェーバー社会学を柔軟に吸収したセルジオ・ブアルケ・デ・オランダ(1902~1982)の「ブラジルのルーツ(Raízes Do Brasil)」(初版1936年)、の二冊がパイオニア的古典となっている。

サンパウロ法科大学を卒業したセルジオ青年は、1929年から二年間新聞のドイツ特派員として活躍する一方、旺盛な読書家としてジンメルやマックス・ウェーバーの社会学を耽読し、フランクフルト学派の影響を受ける。帰国後、ウェーバーの官僚制や家父長制という分類規範を応用して、ブラジルの歴史を分析し、堅実と冒険、農村と都市、官僚制とボス制、規律と衝動、といった“対”を通じて、ブラジル社会をポジティブに解釈する著書を構想する。

1936年に出版された「ブラジルのルーツ」(邦訳「真心と冒険」新世界社、1971年)がその構想の具体的結実であったが、イベリヤ的遺産である農村的・家父長的な環境が「真心ある人」(homen cordial)を育んだとして、このブラジル的エトスは世界に貢献できる、と主張したのだ。

ただ注意しなければならないのは、この「真心」は善意を前提とせず、礼儀正しさを意味してはいない、ということだ。形式を嫌悪し、公と私を混同するエゴイスト傾向と表裏一体なのである。この著書は、ブラジルの歴史的構造を社会心理学や歴史社会学の視点から鋭く分析したものであり、歴史学は過去の知識と現在の問題を繋ぐものでなければならないと語ったのだ。

ブラジルのルーツ

第五章のさわりの部分を引用してみよう。

「ブラジル人はその真心で世界の文明に貢献できるであろう、世界の人々に真心のある人を送ることが可能であろうと巧みに表現した人がいる。率直な態度、親切、手厚くもてなそうとする気持ち、寛大な心など、少なくとも農村的、家父長制的な環境の中で育まれた社会生活の規範の影響――しかも先祖代々に亘るこの影響が力を失うことなく、強く残存する限り、ブラジルを訪れる外国人がこぞってほめそやすこれらの美徳はブラジル人の国民性としてこれからも消えることのない特徴となろう」

この「ブラジルのルーツ」初版刊行から80周年ということで、昨年(2016年)8月に特別版(「Raízes Do Brasil – Edição Crítica」)が刊行され、大きな話題となった。というのも、これは単なる重版ではなく、初版(1936年)、第二版(1948年)から第5版(1969年)まで、セルジオ自身が加筆・修正を加えたあとがすべてわかる特別編年版になっているからだ。

とりわけ第二版(1948 年)が大幅に修正された版で、初版(1936年)の200か所以上が修正されている。

例えば、第三章のタイトルは「農業的な過去」から「農村的な遺産」に変えられ、ナチスに協力した政治学者カール・シュミットからの引用はすべて削除されている。

この特別版の編者であるペドロ・モンテイロ(プリンストン大学教授)とリリア・シュワルツ(サンパウロ大学教授)によれば、キーワードである「真心ある人」も、実はセルジオの発明ではなく、ニカラグアの近代主義詩人ルーベン・ダリオが初めて言及した由だ。

さらに、「真心ある人」は農村文化がマジョリティであった時代は、ポジティブな意味を有していたが、都市化によって、農村文化が消滅傾向にある現代においては、「真心ある人」概念そのものが、むしろネガティブな意味に転化する、と指摘されている。

また、「フォーリャ・デ・サンパウロ」紙へのインタビューで政治学者ジェッシ・デ・ソウザは「真心という概念そのものが、経済エリートの完璧なるイデオロギーであるからこそ、歴史的な不平等性を見過ごしたのだ」、「セルジオの保守的分析では、権力者による汚職が不可視化されてしまう」と昨今の PT(労働者党)政権下のメガ汚職腐敗を示唆するような発言をしている。セルジオ・ブアルケは、1980年の PT(労働者党)結党の創立者の一人であったのだが、彼への評価も時代と共に“激変中”といわざるを得ない。

ポジティブなブラジル的価値を象徴する「真心ある人間」像が揺らぎ、ブラジル的価値に対する自信喪失とも読めるが、歌手兼作家シコ・ブアルケのオヤジでもあるセルジオ・ブアルケの知的遺産は、没後 35 年経った今日でもポレミックであり続けている。

(文/岸和田仁、記事提供/日本ブラジル中央協会、写真/Divulgação)
「Raízes do Brasil - Edição Crítica」はCompanhia das Letraより刊行。著者はシコ・ブアルキの父親でもあるセルジオ・ブアルキ・ジ・オランダ

ブラジル特報 2017年3月

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