サンパウロに5つ星ホテル「パラシオ・タンガラ」オープン

2017年 05月 14日

パラシオ・タンガラ ブルレ・マルクス公園

1950年代中ごろ、シャカラ・タンガラには、屋敷と庭園、果樹園と動物の飼育園、広大な公園という大きく3つのエリアが作られるはずだった。工事の作業もはじまったが、夫婦の離婚とともに計画が中断された。

プレイボーイのベイビー・ピニャターリはハリウッド女優たちと浮名を流した後、更に2度の結婚をしているが、シャカラに屋敷が作られることはなく、ベイビーは1977年にこの世を去った。

その後、1987年代に唯一の相続人である息子が他界するまで、シャカラ・タンガラは手つかずで、大西洋岸森林の自然の姿をとどめたまま放置されたままになっていた。

土地は不動産会社の手に渡ったが、1990年半ば、にサンパウロ市がパナンビー地区の再開発を推進、この大自然の姿を残したシャカラを緑地として生かした街づくりが進められ、シャカラの多くのエリアが公園として蘇ることとなった。このとき不動産会社は、シャカラ・タンガラの土地の29%をサンパウロ市に寄贈したという。

ブルレ・マルクス公園

公園が整備される際、かつてベイビー・ピニャターリに、この場所で庭園の設計を任されたホベルト・ブルレ・マルクス自身が造園を手掛けた。

熱帯雨林の保全に関する意識の高かった造園技師ブルレ・マルクスは、ブラジル中を旅して絶滅危惧種となってしまった植物の探索や種の保全にも力を注いだといわれている。伝統的なヨーロッパの造園技師とは異なるブルレ・マルクスならではの特徴–キュビスムや構造主義の影響を受けたモダンなデザインと、エキゾチックな植物群を配した独特のスタイル–は、シャカラ・タンガラとその造園を受け継いだ公園にも、表われている。

チェス盤のようにデザインされた芝や、幾何学模様の彫刻のある壁面、有機的な自然の庭の中に突如、存在する長方形の人口池などがある”ブルレ・マルクス庭園”は、まさに、そんなブルレ・マルクスのスタイルを楽しむことができるスペースといえるだろう。この庭園は、公園に隣接するホテル、パラシオ・タンガラの建物からも望めることができる。

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(文/麻生雅人、写真提供/オトカーコレクション)