カイピリーニャはもともとは「薬」だった!?

2017年 05月 27日

サンパウロ ピラジャー カイピリーニャ

もしかしたらカシャッサ、またはピンガというお酒の名前はあまり聞いたことがなくても、カイピリーニャなら知っている、という方は少なくないかもしれない。

カシャッサをベースにしたカクテルには、各種フルーツやその絞り汁などを入れて作る「バチーダ」から、チンザノなどビター系のお酒とミックスした「ハーボ・ジ・ガーロ」までいろいろあるが、国内外でその名が知られ、最も有名なのが「カイピリーニャ」だろう。

ブラジル国内では、バーやレストラン、ホームパーティ、ビーチ…などなど、カイピリーニャはありとあらゆる場所にある。にもかかわらず、カイピリーニャの歴史を紐解こうとすると、諸説があって、謎に包まれている。

その中のひとつは、アフリカから連れてこられ、奴隷として扱われていた黒人たちが生み出した飲み物を起源とする説だ。

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(写真・文/麻生雅人)
写真はサンパウロのバール「Pirajá(ピラジャー)」(Av. Brg. Faria Lima, 64 – Pinheiros, São Paulo)のオリジナル・カイピリーニャ「Essa Nega é Minha e Ninguém Tasca」。ベースは、リオの酒蔵ファゼンダ・ソレダージのクラフト・カシャッサ(カシャッサ・アルテザナウ)「ネガ・フロー」(ジェキチバの木で熟成したもの)。白砂糖ではなくすりおろした黒砂糖を使う。カイピリーニャの横に移っているのは店のオリジナル・カシャッサ

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