ブラジルの児童文学作家、イラストレーターのジラウドさんが91歳で死去
2024年 04月 7日
作家・イラストレーター・漫画家のジラウドさんが4月6日(土)、91歳でこの世を去った。死亡は作家の家族によって確認された。
家族によって公開されたオフィシャルの文書によると、リオデジャネイロ市のゾナスウ(南部)、ラゴア地区にある住居のマンションで14時30分に亡くなり、自然死だったという。氏には3人の子供がいた。
児童文学作品で高く評価されたジラウドさんは、幾多もの賞を受賞している。1969年には第32回ブリュッセル国際カリカチュア作品展で国際ユーモア“ノーベル”賞を受賞。同じく1969年にブラジル プレス協会からラテンアメリカの報道の自由を称えるメルガンテアレル賞が贈られた。
1980年には、代表作「オ・メニーノ・マルキーニョ(やんちゃなマルキーニョ)」でジャブチ賞(ブラジル書籍評議会(CBL)が主催するブラジルの重要な文学賞)を受賞。2012年に「オス・メニーノス・ド・エスパッソ」で再度、同賞を受賞した。
ジラウド・アウヴィス・ピントさんは1932年、ミナスジェライス州カラチンガ市で誕生した。1939年、7歳の時に、地元紙「フォーリャ・ジ・ミナス」に最初の漫画を発表した。1949年、リオデジャネイロ市に移り、同地でキャリアを築いた。
ミナスジェライス連邦大学で法科の学位を取得したが、漫画家、作家、プレゼンター、ジャーナリストとして重要なキャリアを築いた。1950年代には「フォーリャ・ジ・マニャン(現在の「フォーリャ・ジ・サンパウロ」)」紙でユーモアのコラムを担当した。
1960年代、最初に成功した漫画刊行物「トゥルマ・ド・ペレレー」を出版したが、1964年の軍事クーデターが起こって間もなく発売中止となった。(同作品は)数十年後にアブリウ社、およびプリモール出版から復刊されることになる。
ジラウドさんは、アートによって軍事独裁政権に抵抗した作家としても、その名を歴史に刻んでいる。有名なメディア「オ・パスキン」紙を創刊・主宰して、体制に抵抗した。この活動は軍政にとって気に障る存在となり、軍政による検閲と反抗者への弾圧を強化した軍政令第5条(AI-5)の施行の後、逮捕されるに至った。ジラウドさんは軍事政権から“危険分子”とみなされていた。
ジラウドさんはその後も政治的な活動を続け、ブラジル共産党(PCB)、その後、社会自由党(PSOL)に所属した。
氏の作品の中で最も有名な「オ・メニーノ・マルキーニョ(「やんちゃなマルキーニョ」)」は、ジラウドさんの息子からインスピレーションを受けて1980年代に誕生した。キャラクターは、ベストセラーとなった児童書をオリジナルとしながら、ブラジルの映画館で大ヒットした映画も生んだ。
脳卒中を患った後、2018年に、児童書から生まれた数々の印象的なキャラクターたちとともに創作活動を休止していた。リオ市ゾナスウ(南部)ラゴア地区にある、氏が70年仕事をつづけたスタジオは、ジラウド研究所に改築される。
2006年にはTVブラジル局で、(児童書を基にした実写シリーズ)「ウン・メニーノ・ムイト・マルキーニョ」(全26話)が放映された。また、ジラウドさんは5シーズンにわたって放映された児童向け番組「ABZ・ド・ジラウド」で司会も務めた。同番組は全189エピソードが作られ、子供たちや若者に読書のすばらしさを伝えた。
現在、リオデジャネイロ市にあるブラジル銀行文化センターにて、ジラウドさんの漫画に関するインタラクティヴな展示が行われている。「ムンド・ジラ – ジラウド・インテラチーヴォ」と題されたこの展示は今年の5月13日まで開催される。
(記事提供/Agência Brasil、日本語文/麻生雅人)