喪失と飢えを超えて――史上最大規模の死者を伴った警察作戦後、再起を試みる未亡人
2026年 01月 29日

フェルナンダさんが、亡くなった夫レオナルド・フェルナンデス・ダ・ホッシャと交際を始めた当初、彼が犯罪組織の指揮系統に属していることは知らなかったという。やがて家族はその収入に依存するようになった。
「私はパン屋で働いて給料をもらっていました。でも家族の面倒を見ていたのはすべて彼でした。食べ物を用意し、支払いを済ませ、上の子どもたちをちゃんと育ててくれました。何も不足はありませんでした。インターネット、食料、ガス、衣服、全部彼が負担して、私は自分のために給料を使っていました」と語る。
最も困難だった時期は、息子イヴァンが3歳のときにがんと診断されたときだった。フェルナンダさんとレオナルドは、共に犯罪から離れる計画を立てようとしたが、生活と治療に必要な収入を確保する手段が見つからなかった。
「夫はこの生活から抜け出したいと思っていました。バイクを売り、ライフルを売り、家を売ってでもイヴァンの治療費を払おうとしました。でも無理でした。医者は彼に『魂を売っても治療費は足りない』と言ったんです。だから彼は結局(麻薬取引に)とどまり、私はそれを受け入れ、裏切りも許しました。私は祈るしかありませんでした」と振り返る。
長い待機(公立医療制度での順番待ち)と裁判(治療を受けるための司法手続き)を経て、ようやくイヴァン君のケースは国立がん研究所(Inca)に回され、手術によって彼の命は救われた。
「息子は何か月も入院しました。レオナルド(父親)は、私を無茶をしているとか、取り乱しているとか言いながらも、薬代を払って支えてくれました。そして手術の日には10分で病院に駆けつけてくれたんです」と彼女は思い出を語った。
<両親の支え>
今回フェルナンダさんは、両親の家の屋上で取材に応じた。そこにはパッションフルーツの木やバナナの木があり、バジルやミントなどの香草が香る。父ジョシマール(55歳、行商人)さんが手入れするその場所は、家の中で最も涼しい空間だ。
「ここには小鳥はいないけれど、いつも蝶が舞ってきます」と彼女は冗談を交えながら、真昼の強い日差しから身を守ろうとしていた。
彼女の両親の家は、通りにある家の中でも最も質素な造りだという。
「うちの家は通りで一番貧しんです。長い間、父が薬物依存だったから」(フェルナンダさん)
「家の中のものは何も残らなかった。父はすべて売ってしまった。カーザス・バイーア(家具・家電チェーン店)で分割払いで買った家具やテレビ、屋根材まで…。私の最初の娘が1歳の誕生日を盛大に祝う予定だったのに、父はその子の服を全部売ってしまった。ジーンズの服も、グラディエーターサンダルも。けれど、その出来事がきっかけで父は後悔し、(ドラッグの)依存をやめたのだと思う」と振り返る。
それから20年近くが経ち、フェルナンダさんはすっかり父を許している。今では父ジョシマールと母ソニア(59歳、日雇い労働者)が、食卓に食べ物がないときに彼女を助けてくれる存在だ。
「家族がいなければ、私はもうここにいなかったでしょう。両親はできる限り助けてくれるのです」(フェルナンダさん)
将来について、フェルナンダさんはアレマォン地区から出て行くことを夢見ている。
「子どもたちにもっと良い生活を与えたい。ここが悪いわけではないけれど、子どもたちには私が持てなかった未来を歩んでほしいのです」(フェルナンダさん)
彼女はまた、小さな美容サロンを開き、「マニキュアやペディキュアをしたい」との希望も抱いている。
「まつげや眉毛のコースを受講して、修了証も持っています。あとは実践するだけです」(フェルナンダさん)
今の彼女にとっての課題は、学校の休暇中に一日一日を生き抜き、食卓に食べ物を並べることだ。
(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)



