軍事独裁時代のブラジル報道協会本部爆破から50年

2026年 08月 17日

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軍事政権下の1976年8月19日、ブラジル報道協会本部ビルがブラジル反共主義同盟により爆弾で攻撃を受けた(写真提供:ABI)

8月19日(水)、軍事独裁政権(1964〜1985)に抵抗した民主的な声を封じようとした事件の一つ──ブラジル報道協会(ABI)本部への爆弾攻撃──から50年を迎える。この日付を刻むため、同協会は今週土曜日、特別版となる「ABI会報」を発行した。

爆発は1976年8月19日、リオデジャネイロ中心部、アラウージョ・ポルト・アレグリ通り71番地のABI本部ビル7階で発生した。爆破事件では、会長室近くの2つのトイレが破壊され、隣接する部屋、エレベーター、さらに別の2フロアにも被害が及んだ。負傷者は出なかった。

今回の特別号は、歴史資料や機密報告書を掲載しており、事件の記録、社会の反応を振り返るとともに、権威主義体制下での抵抗において自由な報道が果たす役割、そして検閲や政治的暴力に対する監視の重要性を強調している。

<歴史資料>

今回の出版の主要な資料の一つは、爆破事件直後に発行された1976年7〜8月号の「ABI会報」である。そこには、軍事独裁政権の情報機関が作成した文書の詳細も含まれている。

その中には、国家情報局(SNI)が1976年9月に作成した機密報告書があり、国家公文書館のプロジェクト「Memórias Reveladas(明かされた記憶)」を通じて公開されている。

ABIによると、このSNIの記録は、当時の治安機関が同協会の出来事、会合、動きについて把握していた情報量の多さに驚かされるという。

協会は「この記録は、当時作動していた政治的監視装置の規模を把握するうえで重要な手がかりとなる」と述べている。

今回の特別号は、ジェラウド・カンタリーノ協会評議員が編集を担当し、1938年に竣工した13階建てのABI本部ビル──ブラジル近代建築の象徴とされる──で被害を受けたエリアの写真も掲載している。この住所は現在もABI本部として使われている。

極右の武装組織「ブラジル反共主義同盟(AAB)」は、爆発後に建物内に残された声明文書で、ABI本部への爆弾攻撃の犯行を名乗った。

同組織は、ABIが「完全に共産主義者に支配されている」と非難し、同協会が「最初の警告」を受ける対象として選ばれたと主張していた。

「報道の自由、人権、思想の自由な表現を擁護していたABIは、軍事独裁政権の“緩和”と呼ばれた政治的開放の動きを敵視する極右過激派から攻撃の標的とされた」(ABIのオターヴィオ・コスタ会長)

当時、ABIの会長はジャーナリストのバルボーザ・リマ・ソブリーニョで、組織にはアウベルト・ジ二ス、マウリシオ・アゼード、マルセロ・ベラバ、オジーロ・コスタ・フィーリョらの名があった。

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軍事政権下の1976年8月19日、ブラジル報道協会本部ビルがブラジル反共主義同盟により爆弾で攻撃を受けた(写真提供:ABI)

<その他の爆破事件>

ABIによると、50年前の爆破事件は単独の出来事として捉えるべきではなく、「民主的自由の進展を阻もうとする政治的暴力と威嚇の状況」の一部だったという。

同じ19日、同じ地下組織によるものとされる爆弾が、リオデジャネイロのブラジル弁護士会(OAB)本部にも仕掛けられた。装置は起爆機構の不具合により爆発しなかった。

今回発行された出版物は、軍事独裁政権の“緩やかで、段階的で、安全な”開放を掲げていたエルネスト・ガイゼル大統領(1974年就任)の時代に、政治的開放を阻止する目的で国内に複数の爆破事件が発生していたことを示している。

翌20日未明には、ポルト・アレグリの第3軍管区第1監査局に対し、2本の火炎瓶が投げ込まれ、火災が発生した。

約2週間後の1976年9月4日には、サンパウロのブラジル分析・計画センター(Cebrap)で、手製爆弾が未明に爆発した。

当時有力紙だった「ジョルナウ・ド・ブラジル」によると、1976年8月から11月の間にリオデジャネイロでは9件のテロ攻撃が発生し、そのうち8件をAABが犯行声明したという。ABIは「それにもかかわらず、情報機関と治安部隊は犯行主体に到達することはなかった」と付け加えている。

<追悼行事>

19日17時、ABIは本部ビル7階で爆破事件から50年を振り返る行事を行う。テロ行為への非難と民主主義の価値を掲げた銘板も設置される予定だ。

「ジャーナリストの家は、民主主義と法の支配へのいかなる脅威にも警戒を怠らない」と、オターヴィオ・コスタ会長は締めくくった。

(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)