グラウベル・ホッシャ監督のレア作品「『Cabeças Cortadas(死を待つ暴君)』が4Kで修復
2026年 08月 26日
「『Cabeças Cortadas(死を待つ暴君)』は、演劇と詩のあいだにある映画だ」。
グラウベル・ホッシャは、自身が1970年にスペイン北部カタルーニャで撮影したスペイン=ブラジル合作作品について、こう語っている。
ラテンアメリカとイベリア半島の独裁政権の衰退を象徴的に描いたこの長編映画は、スペイン映画界による修復作業を経て、2027年に4K版として公開される。ホッシャの死から45年を経ての復活となる。
作品は、監督自身の言葉を借りれば「独裁者の没落」を描くもので、スクリーンには、ラテンアメリカの独裁者像とスペインの独裁者フランシスコ・フランコのイメージを重ね合わせたような暴君が登場する。自らの行いに苛まれたその人物は、死の訪れを待ち続ける。
映画には象徴的な場面がいくつもあり、なかでも有名なのが電話のシーンだ。スペイン人俳優フランシスコ・ラバルが演じる独裁者ディアス2世が、気候現象について疑問を投げかけ、かつて「火山を消滅させた」ことがあると語る場面である。
同じ場面では、彼は亡命中の哲学者を呼び戻し、米国への農産物販売で得た利益をもとに設立しようとしている財団の運営を任せようとする。

<既成概念の破壊>
物議を醸し、謎めいた作品である『Cabeças Cortadas(死を待つ暴君)』は、ラテンアメリカの文脈を知らない観客には理解が難しい場合があり、そのため、グラウベルの美学に慣れていない一般の観客には必ずしも受け入れられなかったのかもしれない。グラウベルはハリウッド的な商業映画の規範を徹底的に打ち破っていたからだ。
しかし、この作品は若い批評家や映画作家たちの関心を呼び起こし、彼らはブラジルの映画作家が軍事政権の迫害により亡命していた時期に制作されたこの作品を擁護するようになった。
映画監督で批評家のカヴィ・ボルジェスによると、『Cabeças Cortadas(死を待つ暴君)』は、テーマ面でも、商業映画の美学的規範を破壊している点でも「古典的な作品」だという。テーマには、米国による支配、人種主義、ファシズムへの批判が含まれている。
「グラウベルの映画とその象徴性は、現在の状況とは真逆の方向に向かっている。いまや米国映画とそのストリーミング(オンライン配信)が成長し、産業全体を支配している。つまり、制作・配給・上映のすべてを掌握し、作家性の価値を無視し、市場を独占しているのです」とボルジェスはアジェンシア・ブラジルに語った。
ブラジル人監督である彼は、グラウベルの作品に新しい世代が触れることが重要だと強調し、その作品を「唯一無二で特別なもの」と評した。
「これは、まだ修復されていなかったグラウベルの最後の作品のひとつであり、反帝国主義映画を祝福する国際的な作品です」(カヴィ・ボルジェス)

<幻の作品>
修復版では、『Cabeças Cortadas(死を待つ暴君)』は色彩・映像・音響の補正を施した4Kデジタル版として復活する。プロジェクトには、マドリード映画学校(Ecam)、ビデオ・マーキュリー・フィルムズ、そしてスペイン映画専門の配給・ストリーミングプラットフォームである FlixOlé が参加している。Ecamと両社は、世界映画の傑作のデジタル化と修復に取り組んできた。
これらの組織は共同声明で、今回の取り組みが『Cabeças Cortadas(死を待つ暴君)』という「グラウベルのフィルモグラフィーにおける唯一無二の作品」を映画史の正当な位置へ戻すものだと述べた。
「スペイン映画の稀少な宝石であり、ラテンアメリカとヨーロッパ前衛と結びつき、演劇的で歴史的・政治的に革命的な映画へと接続する作品だ」
FlixOlé と Video Mercury Films を代表するミゲル・ロペスは、この作品について「完全に忘れられ、アクセス不可能になっていた映画」であり、今回のプロジェクトがその状況を変えることを目指していると語った。
「新しいデジタル版のおかげで、再び観客に届けられることになります」(ミゲル・ロペス)
復元プロジェクトには、観客が制作過程を追い、作品についてより深く知ることができるウェブサイトも含まれている。そこには、撮影に参加した俳優パコ・ラバルらの証言、トラモンターナの強風に苦しめられた撮影の舞台裏、そしてグラウベル特有の撮影スタイルに関する記録が掲載されている。即興演出は、ブラジル・シネマ・ノーヴォの中心人物である彼の創造的自由の一部だった。
グラウベルは、作品の宣伝用パンフレットで自身の構想を説明し、『Cabeças Cortadas(死を待つ暴君)』を「第三世界が第三世界について語る映画」と位置づけた。
「伝統的な映画とは異なる言語を用い、観客の感性とコミュニケーションを図る映画」である「この作品は、詩を読むように、音楽を聴くように、絵画展を見るように受け止めるべきだ」と語った。
グラウベル・ホッシャは1981年、42歳でこの世を去った。
(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)




