3月27日、ブラジル各都市で今年4回目のW杯抗議デモ

2014年 03月 29日

抗議デモ0327

3月27日(木)、ブラジル各地でワールドカップの出費に異議を唱えるデモが行われた。

同日付け「エスタダォン」や「G1」(電子版)がリオとサンパウロのデモのレポートを掲載している。

ワールドカップ開催に異議を唱えるデモは今年に入って4回目となるが、2013年のデモと比べると規模は小さい。

Facebookを使っての呼びかけに対し、サンパウロでは約8000人、リオでは約1800人が参加を表明していたという。サンパウロは18時にパウリスタ大通りの中ほどにあるプラッサ・ド・シクリスタ、リオは17時半に集合するよう記されていたという。

リオでは18時15分ころからブラジル中央駅前に約50人が集い、何十人もの警官に囲まれながらデモ参加者は駅ホールに入っていった。

しかし、これまで同駅で行われたデモのように、改札機を飛び越えようとはしなかった。

リオのデモではワールドカップへの抗議だけでなく、交通機関の運賃値上げの反対も訴えられた。その後、デモ隊はヴァルガス大統領通りを経て、リオ市議会で解散したという。

サンパウロでは、行進はパウリスタ大通りのプラッサ・ド・シクリスタからスタートした。サンパウロのデモは時系列で「エスタダォン」がレポートしている。

覆面をしたブラックブロックの一団がデモに参加していて、この日は行進の先頭に立った。

軍警察によると18時45分の時点でプラッサ・ド・シクリスタには400人近い抗議参加者が集まっていたという。人々は「FIFAは出ていけ」、「みな路上へ出ておいで、FIFAはひっこめ」と叫び、楽器隊も参加した。

19時にはプラッサ・ド・シクリスタの人数は500人以上になっていたという。

19時28分ころにはパウリスタ大通りに約800人が集まった。

19時47分ころ、パウリスタ大通りではデモ参加者たちが腕組で輪を作り、中に警察が入れない状態を作ってマーチを行った。

20時ころにはパウリスタ大通りのデモ参加者は1000人くらいになっていた。3月13日のデモでは破壊行為があったMASP近くのブラジル銀行前には軍警察が配備されていた。この日は地下鉄の入口も開いており、大通り沿いではシャッターを下ろしていない店舗もあった。

20時25分ころ、デモ参加者のうち数名がパウリスタ大通りとジョアキン・エウジェニオ・ヂ・リマの交差点をブロックしたが、行進のほとんどはパウリスタ大通りを進んだ。「飛び跳ねろ! 飛ぶ跳ねない奴はファシストだ、ワールドカップを開催して欲しい奴らだ」という声。

この時間、パウリスタ大通りのバールなどはハッピーアワーでにぎわっており、バールの客はデモを動画や写真に撮っていた。通り沿いの建物にあるスポーツジムの客がデモ隊を見つめていた。

20時29分ころ、行進は手を取りながら旧市街区に向かいブリガデイロ・ルイス・アントニオ大通りを下っていった。デモは熱くなっていた。

20時46分ころ、5月11日通りに差し掛かるころには、打楽器や歌も強くなっていた。中国、オーストラリア、ベルギーのテレビ局がデモを中継していた。

通り沿いの店舗は次々と店を閉めた。

21時ころ、ブリガデイロ・ルイス・アントニオ大通りでユナイテッド・メトロポリタン大学の学生が合流。

21時10分ころ、行進はペロラ・ブリントン広場辺りから旧市街区へ。

21時14分ころ、デモに同行している参加者のための弁護士たちが歩きやすいよう革靴をスニーカーに履き替えた。

21時16分ころ、マリアパウラの交差点に差し掛かったところで行進はどちらの方向に進むか迷っている様子だったが、マリアパウラ通りを市議会の方向へ進んだ。

この通りは一方通行で、デモ行進が道に入って来たことで車が動けなくなったため、軍警察とデモ隊が話し合い、まずは車を通してからデモ隊が道に入った。

9時28分ころ、軍警察の機動隊に囲まれた市議会に向かい、デモ隊は「ここには泥棒しかいない」と叫んだ。

9時29分ころ、7月9日陸橋をわたりデモ隊はヘプブリカ広場へ向かった。イピランガ通りの車はデモ隊にクラクションで答えた。

9時42分ころ、サンルイス通りを経てヘプブリカ広場へ。

9時59分ころ、広場に到着したデモ隊は広場で座り、この日のデモは終わった。

次回のワールドカップの出費に異議を唱えるデモは、4月15日、MASP前に集合して行われるという。

(文/麻生雅人、写真/Getty Images)
写真は2014年3月27日(木)、リオデジャネイロのワールドカップに対する抗議デモ。サッカーシャツを燃やすデモ参加者