ブラジル先住民指導者に死後43年を経て政治的恩赦

2026年 03月 28日

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暗殺の3年前、マルサウ・ジ・ソウザはマナウスでローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と対面。「ブラジルは“発見された”と言われていますが、違います、聖下。ブラジルは発見されたのではなく、先住民から侵略され、奪われたのです。これが本当の歴史です」と語った。その後、マルサウは別の町へ転勤させられ、同地で命を落とした(写真: Paulo Suess/Cimi/Divulgação)

ブラジルの先住民指導者で、グアラニー・カイオワ族の著名なリーダーであったマルサウ・ジ・ソウザ・トゥパ・イが3月27日(金)、ブラジル法務省の恩赦委員会(Comissão de Anistia)により死後に政治的恩赦(名誉回復のための恩赦)を認められた。

委員会の評議員による全会一致の決定は、1983年11月25日に発生したマルサウの暗殺から43年を経て下された。

今回の死後政治的恩赦は、1946年から1988年の間に政治的動機による例外的措置(弾圧)を受けた人々を救済する法律に基づいて付与された。

恩赦申請は2023年、マルサウの遺族が連邦検察庁(MPF)と共同で提出していた。

謝罪

「ブラジル国家を代表して、独裁政権が彼の親族に対して行った残虐行為についてお詫び申し上げます」。

人権・市民権省のマカエ・エヴァリスト大臣は、ブラジリアで行われた政治的恩赦の審理の場でこう述べた。さらに大臣は続けて、「マルサウ本人、ご家族、闘いを共にした仲間たち、そして社会全体に対し、独裁政権に抗し、民主主義のために尽くしたその闘いと抵抗に感謝の意を表します」と語った。

意見書

今回の決定を支えた専門調査報告書によると、マルサウは准看護師として勤務し、国立先住民族財団(FUNAI)の職員であったが、1971年以降、社会調査による監視記録に基づき、監視の対象となっていた。

文書は、1983年2月21日付の公文書に記録されているように、彼が懲罰として強制的な配置転換を受けていたことを指摘している。

「准看護師マルサウ・ジ・ソウザに対しても処分を適用し、当該コミュニティから移動させる」と、その公文書には記されている。

今回の決定により、連邦政府はマルサウに対して行われた違反行為の責任を認め、遺族に対し法定上限となる10万レアルの経済的補償を行う。

恩赦委員会の審理中、マルサウの娘エドナ・シウヴァ・ジ・ソウザ氏は、「父がよく言っていたように、グアラニー族の世界、先住民の世界は今も“暗い世界”として見られています。しかし、その暗闇の中にも、先住民の世界観では輝く点が存在し、その輝きは、先住民の感性と同じ高さで物事を感じ取れる人々のことなのです」と語った。

さらに彼女は続けて、「だからこそ、皆さんはここにいるのです。皆さんこそがその“輝く点”です。父はそのために死ぬまで闘いました。そして父は分かっていました──『私は殺される運命にある。しかし正しい大義のためなら、人は命を落とすものだ』と。父は自分の民のために命を捧げたのです」と述べた。

対応の欠如

先住民省のエロイ・テレナ事務次官は、「マルサウ・ジ・ソウザは、ブラジル国家の組織的な対応の欠如の被害者であることは間違いありません。国家の権威主義的装置によって、先住民指導者への迫害、強制的な移転、先住民コミュニティ全体の移動、そして領土保護の欠如が許されてきたのです」と述べた。

テレナ氏はさらに、マルサウが暮らしていた先住民領ナンデル・マランガトゥが、ルイス・イナーシオ・ルーラ・ダ・シウヴァ大統領の第1期政権下である2005年に承認されたことを指摘した。

「しかし、実際にその土地を(先住民の手に)引き渡すことができたのは2024年になってからであり、これは連邦政府との合意を通じてようやく実現したものです」と述べた。

続けて、「憲法がこの権利を保障した後でさえ、そしてルーラ大統領がその土地を承認した後でさえ、先住民コミュニティは実際に領土が画定されるまでさらに19年も待たなければならなかったのです」と語った。

審理の終盤、人権・市民権省のマカエ・エヴァリスト大臣は、先住民の抵抗がブラジルという国家の形成における中心的要素であると強調し、国家に対し歴史的抹消への対処を求めた。

「記憶なくして民主主義は成り立たず、真実なくして正義は成立せず、そして先住民の歴史が消され続ける限り、未来もあり得ません」と大臣は述べた。

「記憶、真実、正義への権利は抽象的な概念ではありません。それはブラジル国家が負う具体的な義務なのです」と締めくくった。

マルサウ・ジ・ソウザ・トゥパ・イ

マルサウ・ジ・ソウザ・トゥパ・イは1920年、マトグロッソ・ド・スウ州ポンタ・ポラン地域のリンカォン・ジュリオで生まれた。

ブラジル先住民運動の草分けの一人とされ、1980年6月にカンポ・グランジで設立された「先住民族連合(UNI)」の前身となる委員会に参加し、1981年からは同連合の副代表を務めた。

63歳だった1983年、先住民の権利擁護に数十年にわたり取り組んだ末、自宅の玄関先(カンペストリ集落、ナンデル・マランガトゥ先住民領、アントニオ・ジョアン市)で5発の銃弾を受けて暗殺された。

マルサウ・ジ・ソウザは、2022年制定の法律(14.402号)により、死後にブラジル国家の「国家的英雄」として顕彰されている。

また、彼の名は、先住民の権利促進に寄与した個人や団体に対し、ドウラードス市議会が毎年授与する賞の名称にもなっている。

遺族や先住民団体は、今回の恩赦が、マルサウの歩みと、軍政期に先住民族が受けた歴史的暴力への認識をさらに広げる契機になることを期待している。

(記事提供/Agência Brasil、構成/麻生雅人)